「青い時計の旅」は失踪した自分を探して

途轍もなくブルーな気分だから、ブルーな話から。

絶対にそうと決めているわけではない。ただ振り返ってみると、40数年の人生のうち、文字盤の青い時計をしている時間が長かった。

20代の頃も英国製の青の時計をしていたはず。青の時計をつけて池袋の今は亡きリブロ書店へ入ろうとしたら、側面の小さな方の入口に、臨時のテーブルを出して、外国人が座らされていた。時には大量の人々で埋め尽くされる百貨店の通路が、そのときはがらんとしていて、広い通路空間には、自分とその外国人の二人しかいなかった。

青い時計が「旅をしてきた黒い時計」に二人きりで遭遇した瞬間だった。 

黒い時計の旅 (白水uブックス)

黒い時計の旅 (白水uブックス)

 

エリクソンと目が合ったが、当時はさほど英会話に自信がなかったのと、新刊本を買ってサインをもらうような経済的余裕がなかったので、何となく微笑して通り過ぎた。小学生の頃、授業中騒いでばかりの男の子は机ごと廊下に出されたものだ。しかし、エリクソンほどの作家を、本屋の外の廊下に机ごと出して放っておくのは、いかがなものだろうか。本人はどことなく寂しそうで退屈そうだった。

(直接関係はないが、「大江健三郎が地理の時間にどうしても読みかけの小説を手放そうとしなかったせいで、机と椅子ごと廊下に放り出された」という伝説が、わが母校松山東高に語り継がれている。真偽は不明)。 

Xのアーチ

Xのアーチ

 

 この翻訳のプロモーション来日だったようだ。読んでみると、偽史物+メタフィクションラブロマンスを織りこなす圧倒的な筆力に惚れてしまった。こんな最高傑作を書いておいて異国の地下書店で一人ぼっちにされたら、あんな淋し顔になるのも当然だと思う。

ただし、一人ぼっちということなら、現在の自分も人後に落ちない。十数年間ずっと、自分を救おうとする人々を、自分も救おうとしてきたせいで、こうしていきなりひとりぼっちにされてしまうと、自分が何をしたい人間だったのか、いつのまにかすっかり見失ってしまっていた感がある。What the hell am I doing here?

(ん? 今晩のプーチンが歌う「Creep」はやけに楽しそうだぞ!)


たぶんこれも池袋の西武百貨店での話だったような気がする。もう名前も忘れてしまったほど、ごく短い期間だけ仲の良かった女の子がいて、少しも迷路に似ていないわかりやすい構造のデパート地階で、はぐれてしまったことがあった。何で姿を消してしまったのだろう。すぐに見つかると楽観して歩き回ったが見つからない。芸術家志望の音大生って、やっぱりこんな風に自分勝手にどこかへ行ってしまうものなのか。そう呟きながら、その後に予定があったので時計をちらちら見ながら歩き回っていたとき、勘が働いた。彼女がどこかから私を見ているような気がしたのだ。

そういうことか…

私は足を速めた。買い物客の間を縫うようにすり抜け、要所で立ち止まって必死に周囲を見回して、彼女を探し始めた。故意に切なそうな表情を浮かべながら、彼女の背格好を店員さんに伝えて、見なかったかと訊いた。その店員さんが別の店員さんに訊いて、「放送をかけましょうか」という声があがりはじめた頃、最初にはぐれた場所のすぐ近くに、彼女が姿を現した。「あ、ごめん」と謝ってはきたものの、笑顔だった。自分の「捜索演技」はまずまずの成功だったらしい。「莫迦、心配するじゃないか」と言って不平顔をしたあとの「でも見つかって良かった」という笑顔まで、それなりに上手く演出できたと思う。

でも、心の中では苦々しく感じていた。あと15分くらいしか時間のない状況で、演じるべき寸劇ではないだろう。それに、そっちが立ち見の観劇で満足したのは良いにしても、ずっと走り回っていた役者の気持ちにもなってほしいな。

このこともあって、その音大生への心象は悪化して、交友関係は途絶えた。結局は「心配させ損」だったのではないだろうか。実話だ。

たぶんこれも池袋の西武百貨店での話だったような気がする。今どこかで「SAISON」という声が聞こえたような気がしたから。

セゾン文化は何を夢みた

セゾン文化は何を夢みた

 

 この本は無性に懐かしかった。「哲学からアダルトビデオまで」何でも自在に書きこなすライター界の雄である永江朗がセゾン系なのは知っていたが、まさか ART VIVANT(ニューアート西武)の社員だったとは。その洋書店はもちろん、リブロ書店やぽえむ・ぱろうるも本書には堂々登場して、濃い内容がギュッと圧縮されて詰まっているさまは、さながら同じ西武百貨店で私がつかみとったエルメスのサンドイッチのようだ。

本書の濃さを感じとってもらうには、固有名詞を挙げるだけでも十分かもしれない。

渋谷系」ではなく「セゾン系」だと自己規定した阿部和重の名前が出てくるのは当然として、その出世作『インディビジュアル・プロジェクション』の装丁を手掛けた常盤響もぷいと顔を見せ、

そうかと思うと、ここでちらりと言及したカルチュラルスタディーズの毛利嘉孝の顔も見える。

西武のコミュニティ・カレッジで企画案等だった保坂和志が、村上春樹かつ近田春夫そっくりさんとして名を馳せていたとかいう噂話にもどこか納得してしまうし、

本書の言うように、確かに ART VIVANT の空間はブライアン・イーノが創始したアンビエント音楽で満ちていた。

そもそもの ART VIVANT の開店時に、ここで言及したデュシャンのマブダチ瀧口修造が協力していたともいう。本当なのだろうか。

どこか信じられないのは、本書が熱く語っているセゾン文化の隆盛期が、自分が実体験していた90年代前半より、少し前の80年代にあたるからなのだろうか。

それでも、永江朗の話が少しも古い感じがしないのは、先進的な書店文化で叩き上げられた現場の目が、「売れればOK」とは異なる道筋に「繁栄都市」を築いたセゾン文化の中核を見極めているからだろう。

書店の本の配置ひとつとっても、「この人が勧める本ベスト10」企画展示を日本で初めて手掛けたり、今でいう「動的平衡」に近い考え方で、雑誌の特集記事のように、クローズアップしたい本を顧客の視野の中心部分に展示したり、それを周期的にディスプレイし直したりと、当時は革新的で(今では当たり前の)顧客のアイキャッチ獲得Tips集の一端を披露している。

ただし「華=花」のある本の展示はまた、生け花が萎れてしまう高速の周期で回転させなければならないものでもあった。

いわば SAISON 文化とは、地球儀がゆっくりと廻る速度だった季節の移り変わりを、手作りの機械に複雑な楽譜をかけて、手動で回っていた手回しオルガンのようなものだったと言えそうだ。手動なのに小気味よくメロディーがどんどん変わっていくのが面白かったし、普段見慣れない物珍しさや、五感に訴えかける新奇さや楽しさに満ちていた。 

(1:25くらいからイイ感じ)

 セゾン文化がなぜ衰退していったかについて、本書はさほどの紙幅を割いていない。その最晩年に立ち会った自分は、原因の分析はさほど難しくないのではないかと感じている。

それは、91年のバブル崩壊による経済下部構造の沈下と Windows95以降のインターネットの勃興による「世界文化の無料浸透」だ。

しかし、そのような経済的沈滞と消費者の選好の変化を被っても、書物文化という文脈に限れば、セゾン文化のうち、脈々と受け継がれて残っているもの、今後も残るだろうものがある。

それはエディターシップだ。文化の選択的媒介者の存在だと言い換えてもいい。 

「今泉棚」とリブロの時代―出版人に聞く〈1〉 (出版人に聞く 1)

「今泉棚」とリブロの時代―出版人に聞く〈1〉 (出版人に聞く 1)

 

 純文学系文芸誌数誌は、それほど遠くない将来、損益分岐点の適正化により、紙媒体を縮小して電子書籍のみの販売となる可能性が高い。そうなったとき、純文学系文芸誌は相互連携して「純文学系ポータル」を作り、それがさらに、例えば『ダ・ヴィンチ』が対象とするエンタメ小説や漫画などの商業的に強いジャンルへと発展的に吸収され、その「読む読むポータル」が同人誌文化までをも取り込んでいく可能性が高い。

そのようなITによる不可避的な出版環境の中で生き残るのに、不可欠なのがエディターシップだとも言えそうだ。理由は2つある。

1つ目は、膨大な出版物を最適効率で、生産者から消費者へ手渡していくには、「多すぎる選択肢」というキャズムを、或る程度は人力でほぐして取捨選択しなければならないからだ。

まだベータ版ではあるものの、「ホンシェルジュ」という造語を作って、エディターシップ活用型のサイトを構築しようとしている設計者もいる。

2つ目は、文化の選択的媒介者(エディターシップ保有者)が、多国籍モンスターネット書店が圧倒的優位を誇る「モノ消費」ではなく、人的な魅力で誘因でする「コト消費」を活性化する潜在能力があることだ。

昔から、どうして本屋さんは走らないのだろう、と疑問に思っていた。数百人サイズ以上が集まるイベントなら、ペイする可能性は充分にあるのではないだろうか。

特に、講演会の中で言及された本を、その場で買いたいと思う聴衆は少なくないはず。講演者と連携して、講演者のサイン本やこれまでの著作群やレコメンド本を満載して駆けつければ、出版文化の活性化に一役買うのは間違いないだろう。

ネット古書店が、寄付事業や私設図書館に続いて、ブック・バスに挑戦している)

ポルトガルでは、観光スポットに移動本屋さんが出没している)

「無書店自治体を走る本屋さん」は、なぜ走る? « マガジン航[kɔː]

 (子供たちに本のある人生を送ってほしい。クラウドファンディングで資金調達して、「無書店自治体」に移動本屋さんを走らせる試み。情報元サイトで懐かしい名前を発見)

 純文学系文芸誌は今のままの形ではなく、きっと別の形になって生き残る。エディターシップも今のままの形ではなく、それが求心力となって出版文化を活性していく方向へと向かい、さらに強度を増して生き残る。これが現時点での私の読みだ。

 昔、無人のサイン会で手持無沙汰なエリクソンを見かけた思い出から、 エディターシップを媒介に出版文化や書店文化を未来にどう残すかを、少しだけ考察してみた。 

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(写真は手持ちブタさん)

 

話を戻そう。では、総体としてのセゾン文化が残したものとは何だったのだろうか? 

本書執筆以前に立てられていた数々の仮説(大衆啓蒙、自立した消費者対象の文化事業、文化革命など)は、永江朗自身が謙遜していうほど的外れだとも思えないが、実態と多少のズレがあったことは否めない。彼は翻ってそのズレこそが、セゾン文化の特質だという。多すぎる数の多様すぎる種の「クリエイター」たちが集まってみた「壮大な同床異夢」なのだと結論づけるのである。

あれらの目まぐるしく変転してやまない文化的多様性の動態と、そこにつきまとう高度消費社会特有の空虚さのようなものを、多少は肌で知っている人間としては、納得のいく結論だ。

 ただセゾン文化が実態なき虚像だったとは思わない。セゾン文化の経験がなんらかのかたちで生きている人は多い。セゾン文化によって生き方を変えてしまった人が少なくないことについて「罪深いことです」と辻井は言う。しかし、それを肯定的に受け止めるか否定的に受け止めるかは、人それぞれだろう。いずれにしても経験と影響は残る。

自分なりにわかりやすい肯定的な図式をひとつここに書き加えておきたい。

上記で挙がったセゾン系の人名のすべては、裏方も含めた何らかの形のプロとして、セゾン文化に関わった人々だった。しかし、セゾン文化を受容した「無名の観客たち」の存在も決して消せない存在だろう。

セゾン系→セゾン人系

(せぞんけい→せぞんびとけい)  

「発信者もしくは媒介者」に多様な文化を伝授され、恩恵を受けた「受容者」が、今度は自分がプロフェッショナルな「発信者もしくは媒介者」へと至る道程。そのようなベクトルの旅路が見えるような気がする。

 このブログの初記事で、自分のルーツを書いたつもりだった。

しかし、ひとりの人間が生まれて大人となって人生を全うするまでに、その存在は無数の糸で織りなされて、編み上げられていく。上に書いた自分のメイン・ルーツ以外に、自分がセゾン系のサブ・ルーツを持っていることを、今晩確認できたのは嬉しかった。

と、そろそろ時間だ。さっきから青い時計をちらちら見て、時間が気になっていた。アイツに最後の質問を訊く約束になっていたのに、いったいどこへ行ったんだ。芸術家志望のヤツって、やっぱりこんな風に自分勝手にどこかへ行ってしまうものなのか。

ところでアイツって誰のこと? ふと鏡を見ると青い時計が映っていた。いつのまにか、自分が時計になってしまっていた。きっとアイツはストレスがかかりすぎたせいで、腕時計を外すようにストレスもろとも自分の存在を外して、ここに置いて行ったのにちがいない。

おい、逃げるなよ。それとも、自分を探しに来てくれる人がどんな様子で探すのかを、陰でこっそり見ているという寸法なのか。これまでずっと一方的に時間を教えてもらうという恩恵を受けておきながら、ずいぶん面倒くさいことを押し付けるな、アイツは。

そう呟いて、どちらへ向かおうかと複数の道を見回したとき、どのベクトルへ進むべきか時計の僕にはわかったような気がした。

セゾン系→セゾン人系

(せぞんけい→せぞんびとけい)  

さきほど確認したベクトル式に、どこともなく、こんなメッセージが隠れているような気がしたんだ。

セゾン文化の恩恵を受けた人間が、時計を気にしながら、文化の発信者となるべく道を進む 

こうして「青い時計の旅」は始まった。アイツを見つけたら、最初に訊きたいのはこの質問だ。

セゾン文化を見ていた20代のきみは、何を夢見ていた?