燃え落ちつつある戦後民主主義

久しぶりに本を読む時間ができるかもしれないという予感がしたので、午前中は図書館めぐり。読みたい本を渉猟していた。地元の公共図書館の本揃えはかなり厳しく、自分の読みたい本だけが置かれていないような錯覚さえしてしまう。

ところが、どうやら時間が取れそうだと感じたのも錯覚だったようなので、今日も記憶だけで書けるところまで書きたい。

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確認しておきたい記憶があったので、ここで語った『カフカ解読』を注文したところ、昨晩届いた。

カフカの『変身』は、作家の伝記的事実に照らせば、「お金にならない文学ばかりにかまけて、この穀潰し虫!」という家族からの罵倒に由来する。「ブルームフェルト、ある中年の独身者」という短編で独身男が2つのボール(だけ)に付きまとわれ、『城』の主人公Kがついに城に到達しないのは、婚約者がありながら未婚で生涯を終えたカフカの「性的不能」の反映だともされる。

 自分が書いたカフカの作家論的批評のうち、「ブルームフェルト、ある中年の独身者」に関する記述が、『カフカ解読』に書かれていたものか、自分の創見なのか、区別がよくわからないと感じたのである。著作ではその短編に触れられていなかったので、私の独自読解だったようだ。短編名に「独身者」と明記されているので、さほど難しくはない解釈問題だろう。誰か他の人がもう書いているかもしれない。それを「Led Zeppelinの不在」と形容したくなるのは、自分くらいだろうが……。

といっても、発見者の功を誇りたいという気持ちはいささかもなく、『サルトルの世紀』でもそうだったように、熱中して本を読んでいるうちに脳裡に閃きが生じることがあっても、それは書物に流れている情報群で脳のストレッチや訓練を小一時間おこなっているうちに、みるみる跳躍力が高まって、不意に軽々とジャンプできるようになるから。その跳躍の大部分を、読みつつある書物というスプリングボードに負っていることは、自分もよくわかっているし、その喜びを感じたいからこそ、また本ヘ向かうのだ。

それに、自分の跳躍回数は数えるほどだが、批評家と呼ばれる種族は、良書一冊で数回は、そういう脳内ハイジャンプをしているのではないだろうか。

 今村仁司経由でいくつか読んだアルチュセールについても、かつて何か閃いたという記憶だけあって、それはアルチュセールの「認識論的切断」(だったか?)が別の思想家のある概念と対応しているのではないか、程度のことだったと思うが、これも「現代思想」と呼ばれる一群の哲学について、かなり初期から導き手を務めてきた今村仁司に負うところが大きいだろう。

アルチュセール全哲学 (講談社学術文庫)

アルチュセール全哲学 (講談社学術文庫)

 

 門外漢による印象批評でいうと、現在のアルチュセールへの評価の基調は「古い」「狭い」といったところだろう。確かに「アルチュセールドゥルーズが同級生」と言われてみれば「え、それより20年くらい古いと勘違いしていました」と正直に告白したくなるし、その守備範囲の中心がマルクス主義の徹底した再検討と聞くと、「狭い」という印象は不可避かもしれない。たとえそれが、猖獗をきわめたマルクス主義自体の社会的影響力が急激に狭まったせいであっても。

そして歴史に残る主著はあの自伝だという揶揄が行き渡って…

未来は長く続く―アルチュセール自伝

未来は長く続く―アルチュセール自伝

 

 

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門外漢ながら、アルチュセーリアンの今村仁司が『アルチュセール全哲学』と銘打った本を読んで、心が痛んだ。「全哲学」と書きつけたということは、彼によるアルチュセール関係の著作は終焉したということだろう。その「全哲学」では、年譜のわずかな数行以外、例の絞殺事件にはまったく触れられていない。一方、前書きには、疎外論人間主義一辺倒だった当時の思想界において、アルチュセールの登場がいかに新鮮で救いだったかが、率直な筆致で書かれていた。

自分はそれより3つほど世代が下だが、後で読んで追体験とした身として、そのような状況の布置がよくわかる気がする。ロブ=グリエが客観描写マシーンと化した『嫉妬』や、それを「客観的文学」とロラン・バルトが持ち上げたのも、同じ勢力疎外論や人間中心主義)と対抗していたからだった。(当時は、政治・哲学・文学が連動して思潮を形成していた)。ロブ=グリエもバルトも一作ごとに転位するタイプの書き手なので人は幻惑されやすいが、管見の限りでは、短かったこの一時期が、二人にとって最も不本意だった季節なのではないかと想像する。

ロブ=グリエは夫妻で軽微な飛行機事故に遭遇したのを新聞記事にされて、そこで語った事故への恐怖感や貴重品への言及に、「アンチ・ロマンの旗手らしくない小市民性や俗物根性が露呈している」として批判された。笑ってしまうほど無茶苦茶な報道だ。当時の「人間主義勢力の強さを感じさせる逸話。

アルチュセール全哲学』の文庫本解説を書いた市田良彦は、今村仁司がそこでアルチュセールを終わらせようとした身振りを、「同時に現代思想の終焉をも宣言しているように見える」と解釈していた。自身が現代思想を研究する契機になったのが、他ならぬ今村仁司の存在だったという来歴を述べながら。

 終わりと言えば、この本を重く受け止めた人もいるのではないだろうか。

近代文学の終り―柄谷行人の現在

近代文学の終り―柄谷行人の現在

 

 旧世紀の文芸批評が華やかなりし頃、作家たちに最も影響力のあった文芸批評は『日本近代文学の起源』と『小説から遠く離れて』だと言って間違いないだろう。その一方が、上記のアルチュセーリアンと同じく、こんな風に「終わり」を宣言してしまった。

今日ではもうネーション=ステートが確立しています。つまり、世界各地でネーションとしての同一性はすっかり根をおろしています。

近代文学終わっても、われわれを動かしている資本主義と国家の運動は終わらない。それはあらゆる人間的環境を破壊してでも続くでしょう。われわれはその中で対抗して行く必要がある。しかし、その点にかんして、私はもう文学に何も期待していません。

 出版は9.11から4年後の2005年。発言自体はもう少し古いのだろう。政治的倫理的知的課題を背負った近代小説が終わったかどうかはさておき、十数年経ったいま読むと、国家観が現状とはすっかり正反対になっているのに驚く。今や1%グローバリズムによる国家への浸食に対抗する拠点は、ネーション=ステートを措いて他にないはず。カルスタやポスコロに拠って制度的国家への批判に専心したり、丸山真男のように「虚妄の戦後民主主義」(か否か)を選択肢として思考対象としたりしている余裕は、もはや今の日本にはなさそうだ。

「燃え落ちつつある戦後民主主義」とでも名付けておこうか。クライシス・アクターたちによる偽旗テロが世界中で猛威を振るっているように、(先日のマンチェスターのテロでまたこの女優に再会してしまった!)、

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絶対にあってはならない目を疑うような不正選挙までが、世界的に横行していることを示す状況証拠が、ネット上には溢れかえっている。ネーション=ステートに依拠したナショナリズムによって、グローバリストたちからの「国家防衛」に成功しているロシアでは、どうしようもない「西側の実態」を示したこんな報道まで出ている。

スコットランドで独立の是非を問う住民投票が実施された。監視団として投票に参加したロシア代表団には、いくつかの驚きがあった。
 ロシアから参加したスコットランド住民投票の監視団には、多くの驚きがあった。ロシア選挙権社会研究所のアレクサンドル・イグナトフ事務局長がこれを伝えた。

 まず、投票には身分を証明する書類が一切必要ない。有権者は投票所に訪れて、自分の姓を名乗り、それが一覧表にあれば投票用紙を受け取れるという。「有権者の本人確認をどうするのかわからない。誰かの名前を名乗れば投票用紙を受け取ることができる」とイグナトフ事務局長。

 また、投票用紙すべてに番号がついているため、市民の誰がどう投票したのかを選挙後に調査することが理論的に可能だという。投票の秘密を保障するという観点から、疑問が浮上する。

 これ以外に国際監視団を驚かせたのは、400万人の登録者のうち、20%が事前にメールで投票を済ませていたことだ。 

スコットランド投票に複数の驚き

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ここまで民主主義の基盤を破壊する「敵の手口」が明確に公開されているのなら、少なくとも自分たちの国をマシにする方法は、5Fにある高踏的な思想や文学よりも、出入りしやすい1Fに、つまりは誰にでも理解可能なわかりやすいところにある気がする。

検索をかけると、元外務官僚と独立系ジャーナリストがきわめて貴重な発言をしているのが見つかった。

 日本は記者クラブメディアのみ取材を許可し、彼らは投票が終わると同時に「当選確実」の報道をする。選挙結果は彼らの予想通りとなる。

 肝心かなめの読み取りと集計はコンピューター任せ。いくらでも細工が可能だ。談合と不正の温床である。

 民主政治の根幹に関わる選挙で、談合と不正がまかり通る可能性の高い国家にこそ、国際監視団の派遣が必要である。

田中龍作ジャーナル | 【クリミア発】 日本の選挙にも国際監視団を

選挙が公正であって何が悪い。

双方がなすりつけ合っている悪口レッテル、「陰謀論」を信じるか「Fake News」を信じるかにかかわらず、左翼か右翼かにかかわらず、「日本の選挙がより公正となること」なら、誰もが支持できるはずだ。動員可能性の大きさを予感させる。

例えばクラウド・ファンディングを使って、ロシアを含む国連選挙監視団の派遣を要請する運動を盛り上げることができれば、黒が白になるカフカ的不条理に満ちたこの国を、

【やだね!】自民党不祥事マップが作成される!ネットでは「まだいる」「まだいる」の大合唱!

大きく民主主義の本道へ引き戻せる可能性が高い。

この国が大きく変わるのをただ待っている、つまりは、次の原発事故を座して待つ気には、どうしてもなれないのは、自分だけではないはずだ。(次に危ないのは、美浜、浜岡、伊方という元技術者発の噂もある)。

政治も倫理も終わってはいないし、終わらせてはいけない。かつては芸術家気取りで政治に疎かった自分が、(バーンスタイン的な?)倫理ー政治的転回を経て、いま眼前に見つめているのは、戦後民主主義が燃え落ちつつある「崩壊」のリアルなスローモーション映像だ。

自分にできることはわずかしかないが、手持ちの小さなバケツに水を入れるつもりで、再度、「日本の選挙に国際選挙監視団を呼ぼう!」と声を上げておきたい。