そのままのあナタデココにいて
こんな夢を見た。
夢の中で街を歩いていたら、見知らぬ美少女がつかつかと自分に歩み寄ってきて、こう言った。
「ひと目惚れなの」
ぼくは心底おどろいて、その場で立ち尽くしてしまった。ひと目惚れなんて、したことも、されたこともない。映画やドラマの中だけの話だと思っていた。ぼくが黙っていると、美少女は唐突に選択肢を示した。
「当てたらプレゼントするわ。ロース、ヒレ、豚足のうち、あなたが好きなのはどれ?」
美少女にひと目惚れの告白をされて、心にフラワーパークめいた華やぎを感じなかったといったら嘘になる。けれど、すぐにパークはポークに変換されてしまった。下の記事の「ベネ豚」以来、どうも女子とのトークが噛み合わない。
まあ、謎々には答えておこう。
「ロースにするよ。メリークリスマス!」
「さすがね。三択ロースがプレゼントしてくれるそうよ。プレゼントできて、とても嬉しいkm」
「km?」
「あれ? 知らないとはピックリcm。気持ちの強さを長さの単位にして、語尾につけるのが流行っているのよ」
「へえ。不思議な流行だねmm」
「そうそう。そんな感じ。あ、さっきの話だけど、やっぱりロースは売ることにしたわ」
「お金を払うのなら、贈り物じゃないね。ロースはもういらないよ」
「そんな悲しいことを言わないで。だって… 本当に、本当に、ひと目惚れなの」
そう言うと、美少女はこちらへ身体を近づけて、ぼくの手を握った。彼女の手は冷たくて、華奢な指をしていた。握られている手を慌てて振りほどいたら、彼女の指が小枝のようにばらばらに崩れ落ちてしまいそうな気がした。ぼくは手を握られるままにしていた。
美少女が握っている手に力を入れた。
「そのままでいてほしいの。すぐ戻るわ。そのままのあなたでここにいて」
「……」
「何か甘い言葉を返してよ」
それはできない相談だった。ぼくには心に決めた女性がいるから。けれど、こちらが黙ったままだと、相手が泣き出しそうな気配があったので、仕方なく高校の英語の教科書に載っている例文を口にした。
「If I were a bird, I would fly to you.」
「?」
「もしぼくが鳥なら、きみのところへ飛んでいくのに」
美少女は満足したようだった。ひとこと、こう言い残した。
「トレ・ビアン」
目が覚めた。どうしてこんな夢を見てしまったのだろう。変に生々しい印象が残っていて、気持ちが悪い。
それに、あの教科書の例文は少しおかしいと思う。男子が鳥になってしまったら、彼女と交際できないじゃないか。条件節は「もしタケコプターがあったら」にすべきではないだろうか。
小学校1年生の頃、繰り返し読んだ「ドラえもん百科」には、確かタケコプターは1997年に発明されると書いてあったと思う。当時は本気で楽しみにしたものだ。自分の結婚式では絶対にタケコプターの演出を使おうと思っていた。
予定時期から20年後の2018年現在、タケコプターはまだ発明されていない。
念のため、実写版のドラえもんを調べてみた。
タケコプターは出てくるが、あっけなくのび太の手に振り払われて、飛行する場面は訪れない(0:16 )。
スペインのドラえもんの実写版は強烈だ。なるほどタケコプターはついているが、明らかに猫型ロボットではなくただのネコ。しかも、二人羽織で強引に演技をさせられて、辟易している感じが伝わってくるのが可笑しい、
タケコプターが実用化されていない理由は、素人目にもはっきりしている。あれだけの浮力をプロペラで生み出そうとすると、プロペラの回転数はかなり高速にならざるをえない。残酷な想像になってしまって恐縮だが、首がねじ切れてしまうのだ。
困ったな。奇妙な夢で始まったこの記事が、後味の悪い形で、途中で終わってしまった。待てよ。あきらめるな、オレ。夢は潜在意識が自分に見せているものだから、難局を突破する鍵は必ずその夢の中にあるはず。
そう自分に言い聞かせて、ここまでの文章を読み返していると、ユリイカ! 今晩書くべき主題が隠れているのを見つけてしまった。トレビアン! いや、東レ・ビアンと言い直そう。
まずは地元の大企業がトップシェアを誇る炭素繊維の話から。
四国の地方都市にも大企業と呼ばれる企業はあって、そういう企業は社宅を持っていた。もう潰されたが、社宅は空港の近くにあった。自宅とは全然明後日の方向にある空港近くの海岸沿いまで行って、テトラポッドが折り重なっている手前のコンクリートに腰かけて、ちょっとしたパンやおにぎりをかじりながら、彼女と門限ぎりぎりまで毎日のように話をした。
ジェット機の音がかすかに聞こえた。その翼を明滅する灯で縁取りながら、東京行きの最終便が夜空を旋回して、都会へ飛び立っていくのを、毎晩のように二人で眺めた。あれから、ずいぶんな時が流れて、自分も大人になった。それなのに、今でも松山から東京へ飛行機で飛び立つたびに、現在の自分を、17歳の自分が海岸沿いでじっと見上げているような錯覚に捉われてしまう。少年時代を置き去りにして、明後日の夜空へ自分が飛んでいってしまうような不安と寂寥を感じてしまう。
その昔、松山空港の近くにあったのは帝人の社宅だった。今や、東レと帝人は炭素繊維の分野で世界一位二位を占めるワールドクラスの企業だ。
アクリル繊維を炭化した炭素繊維は、日本企業の地道な技術改良で開花した先端素材だ。先頭に立って市場を開拓してきた東レが世界シェアの約4割を握り、2番手の帝人、三菱レイヨンを足した3社で世界生産の6割超を占める。中国などのアジア企業も参入済みだが、日本勢とは品質で大きな差がある。
炭素繊維は通常、樹脂を混ぜた複合材料(炭素繊維強化プラスチック=CFRP)にして使用される。軽くて強く、耐腐食性にも優れ、最新鋭旅客機の胴体・翼をはじめ、風力発電風車の羽根、ゴルフクラブ、ガス圧力容器などに使われている。
そして今、最も熱い分野が自動車だ。世界的な燃費・環境規制などを背景に、各国の自動車メーカーは車体の軽量化を急いでいる。
鉄と比べて、強度が10倍、重さが1/4なので、航空機の素材として活用されてきた。炭素繊維が(一部の高級車だけでなく)大衆車にも採用される動きが本格化してきたというのが、記事の主旨だろう。
「一部の高級車」とは、BMW i3。ボディーシェルと呼ばれる骨格部分に、鉄を使うのをやめたのだ。
BMW i3は量産車では初めてとなる、カーボン・ファイバー強化樹脂(CFRP)を採用し、車両重量をわずか1,300kgに抑えました。この素材はアルミニウムより約30%も軽量ながら高い強度を持ち、車両の軽量化だけでなく、航続可能距離の延長にも貢献しています。
(…)
カーボン・ファイバー強化樹脂(CFRP)は生産プロセスに再利用されます。BMW i3に使用される素材の95%をリサイクル可能にすることで、サステイナビリティの循環を完璧なものにしています。
下の動画にある繊維工場のような風景が、今後は自動車産業の一角で、さらに一般的になっていくだろう。
あれ? 炭素繊維の話も終わってしまった。自分を信じるんだ、オレ。もう一度冒頭を読み返して!
「そのままのあなたでここにいて」
そんなところに隠れていたのか、ナタデココ!
実は、今から本格的に普及しようとしている炭素繊維には、次世代のライバルがいるのだ。その新しい繊維とはナタデココの固形物と同じ。
「やっぱりロースは売ることにしたわ」
そう。セルロース・ナノ・ファイバー(CNF)だ。
最近気が付いたのは、まだ本になっていない新情報を元にして記事を書くと、格好よく見えるらしいということ。初めてDJ文化を生み出したマンチェスターでも、音源のネタ元が知られていないことがクールとされたのだ。
この大量の輸入レコードに裏打ちされたムーブメントが、曲の有名度とは逆にレア度を競い合う、現在のDJ文化の源流になったとも言われる。DJたちはレア度を競うだけでは飽き足らず、レコードの文字情報を消したりして、ボードリヤール的な音源の「起源の消去」にも積極的だった。
しめしめ。CNFの本はまだ出ていないようだぜ。さあ、夜はこれから。今晩も飛ばしていこうか!
- 炭素繊維=鉄より、強度が10倍、重さが1/4
- CNF=鉄より、強度が5倍、重さが1/5
スペックだけを比較すると、日本企業が世界シェアを6割押さえている炭素繊維で充分ではないかと思える。ところが、炭素繊維はもともとは輸入している化石燃料。CNFは日本の森林から調達できる。この違いがとてつもなく大きい。
CNFは木の繊維をナノレベル(ナノは10億分の1)まで細かくほぐした素材。鉄に比べて重さは約5分の1と軽く、強度は5倍以上。植物由来のため二酸化炭素(CO2)の排出削減につながり、国土の7割を森林が占める日本にとっては調達しやすい持続型資源としての期待が大きい。
CNFの研究は京都大学の矢野浩之教授が20年ほど前から始めた。研究のきっかけの1つは、米国の大富豪ハワード・ヒューズ氏が製造し、1947年に初飛行した世界最大の飛行機が木製だったことだ。同教授は「木で空を飛べるなら車も作れるのではと考えた」と話す。
炭素繊維をボディー骨格に使用したBMWの向こうを張って、CNFを自動車のボディーに使う時代が来ると思っている人、一歩下がって全体像をよく見て! 話はもっと大きいみたいだ。
(画像引用元:プロジェクト概要 | NCV(Nano Cellulose Vehicle)プロジェクト)
CNFは透明にもできるので、車の窓ガラスにも使えるし、タイヤのゴムの強化剤にも使える。いわば何にでも加工できる「植物由来の強化プラスチック」に近いイメージなのだ。
同じ日本での一年間、流通するプラスチックの総量の1.5倍の量が、日本の森林地帯に新たに生まれているという。とてつもない規模の新しい産業が生まれる予感がする。どこに? 日本の中山間地にだ。
「せーのーで」というより、「せーごーで」、どんと動いたのが、薩摩川内市だ。
鹿児島県は竹林面積が日本一。山の幸として親しまれている早掘りタケノコ、「竹カゴ」といった工芸品など、あり余る竹は、ある程度は生かされている。一方、高齢化により放棄された竹林が増加。竹が他の植物の生育を阻害する“竹害”が山間部の住民を悩ませている。
そんなやっかいものの竹を世界が注目する“新素材”へ変えようという試みが始まっている。薩摩川内市は市内に工場のある中越パルプ工業と協力し、竹を使った“セルロースナノファイバー(CNF)”の活用に乗り出している。
(…)
世界一の九州が始まる :: 2017年9月24日放送分
管理放棄林の竹を伐採して持ち込めば、高付加価値のCNFを製造できる。となれば、市の補助金なしでも、竹の伐採だけで生計を立てられる農家も出てくるだろう。トラックいっぱい60kgで6000円也。地域の一次産業が蘇りそうだ。
2014年、日本も「ナノセルロースフォーラム」を起ち上げた。ナノセルロースに関するオールジャパン体制の産学官連携組織だ。産業分野の参加リストには、製紙業の顔触れが目立っている。
自分が何度か言及してきた王子製紙も参加している。
それもそのはず、CNFは、製紙業で一般的に用いられている「解繊」というプロセスで作られることが多いのだ。「解繊」とは繊維を細かくすること。パルプを紙にする際に必要なのだが、一般人が想像するように繊維を切断するわけではない。衝撃波をあてて繊維を解きほぐしていくのだ。製紙工場は水脈豊かな山地の麓の沿岸部に立地しているものだ。地方活性化の予感はますます高まってきた。
竹の加工のあとにパルプの加工の話が続いた。すでにお気づきのように、実はCNFは、原理上どんな植物からでも作ることができる。
とはいえ、まさか、日本の新産業の勃興の道と、自分の小学校時代の通学路が交わるとは思わなかった。
そうやって、街を散策していると、小学校時代を思い出す。学区の端に住んでいたせいで、少し遠い小学校に通っていた。小学校低学年の足で30分ほど。ちょうどあのポンジュース工場の横を通るルートで、小川にいる魚を数えながら帰ったり、友達とじゃんけんでランドセルの全員分の運び役を交代したりして帰り道を楽しんでいた。4、5人でじゃんけんをするので、アイコ続きで、なかなか運び役は決まらない。帰り道は長かった。
そんな牧歌的な小学生時代、給食に週一回ポンジュースが出ていたという話をすると、誰もが不思議顔をする。
果汁100%の「愛媛のまじめなジュース」の搾りかすを、CNFに加工する研究開発が特許を取ったのだという。
我々の研究グループが共同研究を実施している愛媛県産業技術研究所食品産業技術センターとの成果を基に,産総研,愛媛県,(株)えひめ飲料の3機関で特許出願しました。みかんジュース等を絞った後の果皮に含まれている機能性成分(柑橘の河内晩柑が含んでいるオーラプテン等)を柑橘類が本来持っているセルロースナノファイバーを活用して,さらに機能化する特許です。
瑞穂の国の日本は、森林と雨に恵まれた島国。セルロースを資源にできれば、力強い資源立国の道が見えてくる。しかし、日本の国力の回復を阻止したい勢力も世界に入るわけで… 悔しい思いをしたこともあった。
日本の川崎重工が開発した40円バイオエタノールも、技術開発の成功から一か月足らずで社長解任劇に発展し、その後の音沙汰がなくなった。
2012年8月22日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション (ニュース)(…)
今も高い放射線量に悩まされている福島県飯舘村では、植物を発酵して作るバイオエタノールの精製と除染を同時に行う技術を応用した装置が活躍している。この装置を開発したコンティグ・アイの鈴木繁三社長が、「除染しながらアルコールが作れる。今回この除染に応じた特殊な酵素を作らせていただいた」と説明した。抽出されたバイオエタノールから放射性物質は検出されず、残された廃液の放射性物質は吸着剤で処理できる。
(…)
検索して調べてみたところ、鈴木繁三社長は40代後半か50代前半で、何らかの死因で亡くなってしまったらしい。
ここまでの事実を読んで何も感じない人はいないだろう。西欧から飛んできた日本批判の書『人間を幸福にしない日本というシステム』にも読みどころはあったが、目下の日本で最も不当に幅を利かせているのは「日本を幸福にしないグローバリストたちのシステム」なのだ。
近未来のCNF産業には、間違いなく日本で流通するプラスチックを代替する潜在力がある。
その昔、とても面白く読んだ新書に提言を添えたことがあった。
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
- 作者: 藻谷浩介,NHK広島取材班
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
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地域振興アドバイザーの立場から、「田舎 対 都会」の二項対立をひっくり返すのも面白いし、マネー資本主義システムの横に、田舎だからできるマネー依存のないサブシステムを協働構築するのも素晴らしい。しかし、昨晩言及した『未来の年表』によれば、都会の代表である東京も、今から10~20年後には、深刻な病いを病み始める。少子化によって若者の流入が止まり、その代わりにアラフォーやアラフィフの子供を頼って80代の老人たちが流入し始め、若者型都市だった東京の医療系や福祉系の施設が次々にパンクしていく。田舎と都会の衰退は、異なる種類の「病気」ではあるものの、まもなく同時に進行するのである。
お金の循環で言うなら、やはり防衛線を、田舎と都会の間にではなく、国境と重ねて引くべきだろう。そして、その国境を跨いで私たちの富を収奪しつづける「新帝国循環」(吉川元忠)に対して、徹底的に対抗しうる国民経済学を確立できるよう闘おう。そのとき、新たに立ち上がりつつある国民経済学を、その内実が異なることを承知で、もう一度「里山資本主義」と呼んでみたい気がしている。
今後、地方の中山間地にCNF中間処理工場がいくつもできて、CNF産業は国内で巨大化していくだろう。それと同時に、プラスチック製造向けの石油の輸入を大きく減らせるのなら、CNF産業は上記の自分の提言と「里山資本主義」の両方にまたがるものになるのではないだろうか。そんな星座線を脳裡に描いて、ワクワクしてしまった。いずれにしろ、次に「里山資本主義」を語る論客が、CNFに言及せずにはいられないことは、はっきりしていると思う。
(リンク先に、ゴッホが亡くなる一か月前に描いた教会がある。強い歪みはゴッホの何を語っているのか)
さて、地方再生なんていう言葉を一度でも口にするのなら、日本の一次産業に対する理解を深めておかないと、歪んだパースペクティブの未来像を語ってしまいそうだ。
日本の一次産業の中で最も後進的なのは、たぶん林業だと思う。一度調べたとき、山地に明確な境界線がないせいで、相続してもどこが自分の山なのか誰に聞いてもわからない「うちの山はどこ問題」があることを知った。日本の森林管理は、野放し、山放しだ。
適切なガバナンスが行き届けば、日本の林業には、ドイツから来たフォレスタ(森林専門家)が嘆声を洩らすほどの豊かな森林資源が生きている。花粉症に耐えている多くの国民に、一抹の心の平安をもたらすためにも、この資源を森林が持続可能な形で有効活用しない手はない。
梶山恵司は、温暖湿潤気候である日本の森林の「成長量」が、欧州の大陸性気候であるドイツの半分程度にとどまっていることを問題視している。日本の森林の間伐が、本来なされるべき面積の半分程度しかなされていないことが原因だ。
まずは、日本の森林状況を林野庁がモニタリングして、適切な法整備を施し、「植林→間伐→主伐→植林」の持続可能な森林循環を回していくことから始めるべきだろう。
詳しく解説する時間はなくなってしまったが、日本の林業の後進性を少しでも先進国に近づけるにはどうすべきか、その視点で書かれているこの本が、とても明快で建設的だった。
最も重要ともいえる林業の収益の柱として、4つの方向性が示されているのが衝撃的だった。3. は始まったばかり。4. が林業従事者の収益源だという発想は、ほとんど共有されていないのではないだろうか。
そして、日本ではCNF向けの木材搬出という大きな五番目の柱が立とうとしているわけだ。木材は運搬が困難なので、CNFの中間処理工場は中山間地に立地することになるだろう。CNF産業勃興後、日本の田舎の人や物やお金の流れは、大きく変わる潜在性を秘めている。さしあたりそれを「里山資本主義2.0」とでも名付けて、希望の予感とともに、この記事の結びとしたい。
話を冒頭に戻せば、UFOの飛行を可能にしている反重力場でもなければ、タケコプターの実用化は不可能だろう。しかし、薩摩川内市の竹が活用されているように、竹由来のCNF製のヘリコプター、いわば竹コプターはきっと実現するのではないだろうか。
と、こんな締めくくりで、夢に出てきた美少女は満足してくれるだろうか。
ちょっと胸が切なくなってしまう。あんな可憐な上目遣いで「本当に、本当に、ひと目惚れナノ」だなんて、いきなり言うんだもんな。意中の彼女がいる自分だって、ドキッとしちゃうよ、あの告白には。
そのとき、何かが閃いてしまった。確か彼女はこう言っていたはず。
「あれ? 知らないとはピックリcm。気持ちの強さを長さの単位にして、語尾につけるのが流行っているのよ」
「本当に、本当に、ひと目惚れナノ」とは「ひと目惚れnm」。つまり、「ひと目惚れ」を1とすると、「10億分の1程度にひと目惚れ」ということだったのか! 10億分の1なら単なる他人だろう? 完全に大人をからかっているじゃないか!
何と言うことだ。ぼくは思わず声に出して呟いた。
淋しくったって、悲しくたって、平気ナノ。