谷を越えるのは今鹿ない

今朝、胸の痛みで目が醒めた。雪の女王の鏡の破片が、どこかから飛んできて、胸に刺さったのかもしれない。

 カイとゲルダは、ならんで掛けて、けものや鳥のかいてある、絵本をみていました。ちょうどそのとき――お寺の、大きな塔とうの上で、とけいが、五つうちましたが――カイは、ふと、
「あッ、なにかちくりとむねにささったよ。それから、目にもなにかとびこんだようだ。」と、いいました。
 あわてて、カイのくびを、ゲルダがかかえると、男の子は目をぱちぱちやりました。でも、目のなかにはなにもみえませんでした。

ハンス・クリスティアン・アンデルセン Hans Christian Andersen 楠山正雄訳 雪の女王 SNEDRONNINGEN 七つのお話でできているおとぎ物語

最近「脳と言えるのに(ポンッ!)」以降、脳科学に凝っている。例えば、自分の大好きな女の子が別の男の子と親しげに触れあっているのを見たとき、湧き起こる胸の苦しみ。それに似た胸の痛みで自分が目覚めてしまうのは、これもやはり脳内化学物質が大きく関与しているのだ。

自分が注目したのは、この論文。タイトルは「日本人のセロトニン・トランスポーター遺伝子調節領域における多型に関連する不安形質」。平たくいうと、日本人が生まれつき持つ「幸福ホルモン」セロトニンのトランスポーターの種類は、最も不安を感じさせやすいSS型が65%。アメリカ人は、SS型が19%。最も不安を感じにくいLL型の保有者は、日本人が3.2%、アメリカ人が32%。何と10倍もの差が開いている。従順で不安を感じやすい日本人の性格類型には、脳内化学物質に関わる遺伝があったというわけだ。

脳内のワンダーランドには、広大な未知のフロンティアが広がっているのだ。

セロトニンから話を少しだけずらすが、まだこれも脳内の話。下記のアクション映画の予告編を観て、あなたの脳は何を感じるだろうか。好きか嫌いか、良いか悪いかを訊いているのではない。漠然とした印象でかまわないので、何を感じたかだけを記憶しておいてほしい。

 脳内のどのシナプスシナプスの間で発火が起こったか、少しは感じられただろうか? 「山」といえば「川」、「風」といえば「谷」の合言葉のように、或る刺激にある反応が返ってこなかっただろうか?

今日読書をしていて驚いたのは、「トム・クルーズ細胞」が人間の脳内にあることが実証されたらしいというニュースだ。トム・クルーズを記憶している患者の脳内に電極を取り付けて実験したところ、正面の姿でも横顔でも「トム・クルーズ」という人名でも、特定の細胞が発火することが分かったらしい。正確には、神経細胞単体ではなく、複数のニューロンで作るネットワークを「暗号化されたトム・クルーズ」が駆け抜けるのだろうとのこと。詳細は書かれていないものの、レオナルド・ディカプリオ細胞やヒュー・グラント細胞もあるはずだ。遺伝によって先天的に継承されているのではなく、特定の記憶が最小単位のニューロンに割り当てられているイメージ。少なくとも、無数の記憶の数だけ、無数のニューロンがあることになる。

そういえば、最近自分も本屋の通路を歩いていて、どこかの脳細胞が発火したような気がして、ふと「滅びた古代文明」の書棚を振り返ってしまうことがある。こういう種類の本が並んでいる棚だ。 

アステカとインカ黄金帝国の滅亡

アステカとインカ黄金帝国の滅亡

 

 はっと我に返った後も、脳内で花火が相次ぐかのようにニューロンの発火が止まらないので、「滅びていない」「滅びていない」と自分に言い聞かせながら、再び歩みを進めることになる。実際、視野に入っていれば、意識なく見流しているものも、人間の脳は見ているのだ。だからこそ、見ている何かがニューロンを発火させて、「ふと目が留まる」「ふと振り返る」という現象が起こるのだろう。

同じく、初期のアルツハイマー病では、記憶が消えたのではなく、媒介するシナプスが少なくなって、想起できなくなっただけであることが証明されている。記憶は無数にあるのに、シナプス間を発火のリレーが伝わらないことが問題なのだ。

認知症はしばしば抑鬱状態を伴う。その抑鬱状態を改善するには、ポジティブな記憶の想起がかなり効くというのは、精神科医の間では有名な話だ。

精神科医は患者と粘り強く話をして、沖縄旅行が楽しかった話題が出れば、そのポジティブな記憶をどんどん引き出して拡大していくのだという。すると、患者の抑鬱状態は一時的に収まるらしい。

したがって、有名恋愛映画の『きみに読む物語』で、認知症の妻に自分たちの恋愛物語を語って聞かせる行為は、まさしく有効な治療法のひとつだったのだ。

ちなみに、現在の脳化学は、「患者から楽しい話を引き出す治療」より、はるか先を行っている。自分の言葉を交えてまとめると、こんな感じだ。

  1. トム・クルーズ細胞を特定できるほど、脳細胞の分布図は精度を増してきている。
  2.  脳に直接光ファイバーを差し込んで、標的にしたエングラムセル(ニューロン複合体)だけを照らすことができる。エングラムセルを光で照らすと、一般的な刺激で発火させたのと同じ「記憶維持効果」がある。
  3. 海馬の或る部位に社会性記憶があることも判明している。 

 1. と 2. を組み合わせて、ポジティブな記憶を照らせばうつ病の改善、シナプスのつながりが弱っているエングラムセルを照らせば認知症の改善、3. と 2. を組み合わせれば引きこもりの改善につながる可能性があるとされている。記憶の研究がまさに「新時代 New Era」に突入したと騒がれるのもわかる巨大ブレイクスルーだ。

さて、『きみに読む物語』で奔放な演技が魅力的だったレイチェル・マクアダムスは、9年後にこの恋愛映画でもヒロイン役を務めた。相変わらず、彼女の演技はニュアンス豊かで素晴らしかった。 

監督兼脚本は『ノッティングヒルの恋人』『ラブ・アクチュアリー』のリチャード・カーティス。イギリスの人気コメディアンであるローワン・アトキンソンのテレビ脚本も手がける英国屈指の監督だ。

(『ノッティングヒルの恋人』を主題に扱った思い出深い記事)。

(ちょっとだけミスター・ビーンが登場する記事)

例によって、予告編とあらすじを引用しておきたい。ここからはネタバレ満載でお届けするので、未見の方は注意されたい。

1
ティム・レイク(ドーナル・グリーソン)はイギリスのコーンウォールに住む若い青年である。父(ビル・ナイ)、母(リンゼイ・ダンカン)、いつも上の空の叔父デズモンド(リチャード・コーデリー(英語版))、自由奔放な妹キット・カット(キャサリン)(リディア・ウィルソン(英語版))と暮らす。21才になった時、父から一族の男にはタイムトラベルの能力があると言われる。ただし過去に訪れた場所に行く事しかできない。金や名声のために能力を使うなと忠告され、恋愛のために使おうとティムは思う。

 

2
その夏、キット・カットの友達のシャーロット(マーゴット・ロビー)が夏休みを過ごしに来る。ティムはすぐに恋に落ち、最後の日に告白する。シャーロットは最後の日まで待つべきではなかったと言い、もっと早く告白してくれていたら付き合ったかもしれないと言う。ティムは時間をさかのぼり、夏休みの途中でシャーロットに告白する。だがシャーロットは、最後の日まで待てばつきあう気になるかもしれないと言う。ティムはシャーロットにその気がない事を知り、時間旅行をしても気が変わることはないと悟る。

 

3
夏が過ぎ、ティムはロンドンに出て弁護士を目指す。父の知り合いで人間嫌いの脚本家ハリー(トム・ホランダー)の家に住む。暗闇を売り物にするレストランで出版社で働くアメリカ人女性のメアリー(レイチェル・マクアダムス)に出会う。二人はレストランの暗闇でいちゃつきあった後、メアリーが電話番号を教える。ティムが帰ると、俳優が山場でセリフを忘れたために劇の初演がうまくいかなかったハリーは落ち込んでいる。ティムは過去に戻って劇を成功させる。

 

4
ティムは携帯電話にメアリーの番号が入っていないことに気付く。ハリーを助けにタイムトラベルをしたため、メアリーと出会わない道を選んでしまったことを知る。メアリーがケイト・モスのファンであったことを思い出し、ケイト・モスの展示会に行ってメアリーと再会する。だがメアリーには恋人がいることを知り、二人が知り合ったパーティーのことを聞き出してその時と場所に戻り、二人が出会う前にメアリーを連れ出す。二人の仲は深まり、ティムはメアリーと一緒に暮らし始める。ティムはシャーロットと再会し、今度はシャーロットから誘われる。ティムは断り、メアリーを愛していることに気付き、プロポーズして受け入れられる。二人の間には娘ポージーが生まれる。だがキットは不運に見舞われ、恋愛も仕事も上手くいかずポージーの一歳の誕生日に酒酔い運転で事故を起こす。

 

5
キットは怪我をするが回復する。ティムはキットの人生に干渉することにし、過去に戻ってキットがボーイフレンドのジミーに出会わないよう計らう。だが現在に戻るとポージーは生まれておらず代わりに息子がいる。子供が生まれる前にタイムトラベルをするとその子は生まれないことになると父が言う。ポージーが生まれる前に起きたことはもう変えることはできず、ティムは結果を受け入れないといけないと言う。ティムはキットの過去を変えたことを取り消してポージーを再び得て、メアリーと共に現在でキットの人生を手助けしようとする。キットはティムの友人のジェイと付き合い始め、子供が出来る。ティムとメアリーには男の子ジェフが生まれる。

 

6
ティムは父が末期の癌を患い、タイムトラベルでは救えないことを知る。父は病気のことを以前から知っており、家族と一緒に過ごすためにタイムトラベルを繰り返していた。父は毎日を二度過ごせと言う。最初は普通に過ごし、二度目も同じように過ごせと言う。最初は緊張や不安のために世界の素晴らしさに気付かないが、二度目には楽しめると言う。ティムはこの忠告に従い、父親に会いたくなると過去に戻ることにする。

 

7
メアリーは三人目の子供が欲しいと言う。子供が産まれたら過去に戻って父に会えなくなるためにティムは気乗りしない。だが9カ月間に何度も父を訪ねて過去に戻った後、もう会えないと告げる。二人は一緒にティムの幼い頃に戻って、浜辺で遊んだことを思い出し、涙と共に別れる。メアリーは娘のジョーを産み、ティムは二度と父に会えないことを知る。毎日を二度過ごしてみた後、ティムは毎日を一度だけ過ごし、二度目であるかのように楽しんだ方がよいと思い始める。 

アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜 - Wikipedia

 この映画の評価は難しいと感じる。脚本の完成度としては、同じリチャード・カーティスによる『ノッティングヒルの恋人』の方が上。でも伝えたい主題がハートフルできわめて大切な人生の真理を含んでいるので、構成の難を承知で、自分としてはこちらを取りたい気がする。

小劇場演劇の脚本を書いたとき、観客に定期的に笑いの酒を注ぐために、自分はページあたりのジョーク数を決めて書いていた。Mr.ビーンの脚本を手がけるほどコメディーが得意なら、ジョーク分布の配慮がもう少し欲しかった気もするが、それは些細なことだろう。

 思春期男子らしい理由で、可愛らしい恋人を手に入れるために、主人公は何度もタイムトラベルで恋愛ドラマの修正を繰り返す。しかし、得恋目的のタイムトラベルが思わぬ副作用を及ぼして、ドラマが複雑になっていく。低評価レビューの中には、タイムトラベル上の矛盾があるとの指摘が散見された。

自分は全然違う考えを持っている。

君の名は。』の冒頭でも、「エヴェレットの多世界解釈」への言及があった。タイムトラベルを映画で使うとき、マルチユニバース理論(無数に並行宇宙があるとする宇宙観)を念頭に置くのは、おそらく脚本家として基礎教養に入るはずだ。

リチャード・カーティスは明確には説明していないものの、マルチユニバース理論をベースにして、この脚本を書いたのにちがいない。

この映画では、主人公の家系の人間は、暗闇で拳を握って念じればタイムトラベルできる。だから、少しでも状況が上手くいかなければ、(足元が躓いたくらいの些細な失敗を隠そうとしてでさえ)、頻繁にタイムトラベルを繰り返す。

概念図としては、いわば、上から下に時間の流れるラインがあるとして、主人公の道行きが「あみだくじ」になっているとイメージすればいい。「あみだくじ」の分岐にはすべて「レ」のような右肩上がりの「返し」があり、その「返し」の分だけ、時間を巻き戻せるというわけだ。そう考えれば、タイムトラベル上の矛盾は生じないのではないだろうか。

「返し」の部分でタイムトラベルしているとき以外は、上から下の時間の流れにしたがって、主人公は下降しながら人生を歩む。すると、この概念図はつまり、「あみだくじ」の柱の数だけ「(微細な差異のある)並行宇宙」が存在していると説明しているのと同じことになる。リチャード・カーティスの映画はやはりマルチユニバース理論を前提としているのである。

ちなみに、このマルチユニバース理論は、バシャールの説明と同じだ。図の右上にマルチユニバースA、B、C…と書いてあるのに注目してほしい。 

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BASHAR(バシャール)2017 世界は見えた通りでは、ない バシャールが語る、夢から覚めてありありと見る、世界の「新しい地図」。

BASHAR(バシャール)2017 世界は見えた通りでは、ない バシャールが語る、夢から覚めてありありと見る、世界の「新しい地図」。

 

ブコメ+ヒューマンドラマの傑作映画『アバウト・タイム』で、監督が最も伝えたかったのは、タイムトラベル家系の父から息子へ伝えられたこのメッセージだと思う。

  1. 毎日を(特殊能力で自己利益を追いかけるのではなく)普通に過ごしなさい。
  2. 普通に過ごしている毎日を、一日だけタイムトラベルして、もう一度じっくり体験しなさい。

すると、可愛い女性を獲得したがる思春期的欲望から遠く離れた場所で、タイムトラベルという仕掛けが輝き始める。何も感じなかった平凡な一日にも、じっくり目を凝らせば美しさが隠れているし、一生懸命に生きれば、とても楽しく幸福に感じられるのだ。

タイムトラベルを通じて、人生を一生懸命に生きることの幸福を知った主人公は、もはやタイムトラベルをしなくなる。平凡でも幸福なので、その必要がなくなるのだ。

さて、あらすじの 7 では説明されていない重要な台詞がある。父の 1. 2. の助言にしたがって、人生を一生懸命に生きる喜びを知った主人公は、その先にある境地をこう告白するのだ。

(何らかの失敗を取り返そうとして)未来から来た人間だと思って、日々を大切に生きよう。誰もが未来からタイムトラベルしてきて、もう一度人生を一生懸命生きようとしている人々だ。

 そのように、街で行き交う人々を見做しはじめるのである。ここが、この映画の肝であり、評価をどうくだすべきかを迷うところなのだ。

主人公の家系限定だったはずのタイムトラベル能力が、すべての人々にまで拡大解釈されて、「人生のかけがえのなさを愛する」という普遍性につながるクライマックス。

正直言うと、若い頃に自暴自棄な生き方をしてしまった自分は、ここで涙腺が緩んでしまったのだけれど、観客にもっとわかりやすく綺麗にまとめるプロッティングはあったと思う。

実は、ここで問題となっているのは、タイムトラベル能力ではなく、記憶能力なのだ。或る世界から、あみだくじの「返し」の分だけ時間を遡って、別の世界へ移行するとき、前の世界の記憶を維持しているからこそ、それがタイムトラベルになっていることに気付くべきだろう。前の世界の記憶を維持していなければ、別世界ではっと我れに返った後、同じ言動を繰り返すことになるだけだ。

自分なら、愛する父の代わりに誕生した第三子を、第一子が可愛がっているときに、ふと自分の胎内記憶を語らせるだろう。

それを聞いて、主人公は閃く。

自分たちの家系は、タイムトラベルの特殊能力を持っているというより、胎内記憶を維持している子供のように、前の世界の記憶を維持しているだけなのではないのだろうか。(輪廻転生によって、この世界でまた魂の修行をすべく)、自分たちの家系以外のすべての人々も、失敗した過去を取り戻そうとして、この世界へ生まれ落ちてきたのではないだろうか。 

このように論理操作をつなげば、すべての人々が「人生のかけがえのなさを愛そうとしている」というヒューマンな普遍性が得られたと思うが、いかがだろうか。  

アリストテレス (講談社学術文庫)

アリストテレス (講談社学術文庫)

 

 タイムトラベルと記憶。

この二つについてさらに詳細に考えるなら、時間から先に考えた方がすっきり理解できそうだ。

古代ギリシアの哲学者の中では、アリストテレスの筋の良さが目立つ気がしている。現代にまで到達する知の枠組みが、少なくないのだ。

アリストテレスの時間の定義:時間とは以前と以後に関しての運動の数である。 

 これ、実は凄く良い。時間や笑いを論じたベルグソンの主張の中では、有名な「純粋持続」より、その本来の「純粋持続」を誤って空間化した概念が常識的「時間」なのだとする主張が面白い。

厄介なのは、ハイデッガーだ。「根源的時間」「世界時間」「今時間」と欲張りにも三つの時間概念を提唱している。この記事の文脈では、過去・現在・未来の広がりを包含する「世界時間」 を見ておくべきだろうか。

何の話かというと、どこかで「時間も空間も人間の認知上のフィクション」だと発言しておきながら、本当のところはどうなっているのか知りたくなって、少しだけ調べてみたのだ。

これは感動的な発見だった。 

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 ラットの脳に、場所を認識する場所細胞が存在することはすでに明らかになっている。この場所細胞の発見だけで、ノーベル賞に値する凄い発見なのだ。

ちょうど、トム・クルーズに対応するひとつの「トム・クルーズ細胞」があるように、1つの場所には1つの場所細胞がある。

ラットが「場所1→場所2→場所3→場所4→場所5」へ走ったとする。すると、バックグラウンドのシータ波上で、整然と下に凸のグラフを描きながら、神経細胞が連続して発火していくのが、図のように観測される。重ね合わせると、まさしく「場所1→場所2→場所3→場所4→場所5」の記録となるのだ! 

ブルーバックスの「脳と時空間のつながり」を担当した藤澤茂義は、場所細胞の「空間」だけでなく「時間」についても、衝撃的な仮説を提示している。

 「 私たちの実験結果によると、動物にいくつかの刺激(イベント)を与えたときの海馬から、バックグラウンドの波の上に、刺激を与えた順序で反応している、と解釈できる計測データを得ています。おそらく、少なくとも海馬を用いるエピソード記憶のシステムは、場所細胞と同じ方式が採用されているのでしょう。このアイデアを進めていくと、ニューロンの発火する順序性が、短期間の時間感覚そのものではないか、という予想に至ります
 少なくとも場所細胞のリプレイのときに見られる圧縮表現は、ラットの空間認識システムとエピソード記憶に、システムとして近いものがあることを予想させます。
 たとえばエピソード記憶には、物の認識が不可欠です。物を思い出すということは、それにまつわるエピソードも付随して思い出すでしょう。これは、まさに回顧です。一方、空間を認識するということは、地図の座標のような位置情報に加えて、目印としての「物」を認識しているということでもあります。したがって空間の連続と順序を圧縮したニューロンの活動があるということは、まさに「物」の変化を認識できる可能性も示しています。
 このことから、関連する物事を記憶するニューロン群は、場所細胞の圧縮表現のように発火して、一つのエピソード記憶を形成しているのではないでしょうか。エピソード記憶に関係するような脳の情報処理システム全般が、空間認知と同じようなシステムで動いていると考えられます。つまり、脳における空間性と時間性は、経験に関係する記憶のシステムを中心にして、ある程度近いだろうと思うのです
 ようするに、脳内で表現される時間の基礎は、空間を占める物の変化や自分の知っている情報順序なのでしょう。むしろ、この時間感覚(順序性の記憶)の中に、空間の把握やエピソード記憶も含まれるのではないでしょうか。 

(強調は引用者による)

 時間とは記憶の順序性から生まれた意識であり、その時間意識の上に、物語や空間の記憶が乗っている。そんな風に読める脳科学の最先端の知見には、心底驚いてしまった。

これを念頭に振り返ってみれば、アリストテレスの「時間とは以前と以後に関しての運動の数である」という時間の定義は、かなり本質を言い当てている。 ベルグソンによる「誤って空間化した概念が常識的な『時間』なのだ」とする主張だって、かなり当たっていると言えるだろう。 ハイデガーの「根源的時間」「世界時間」「今時間」は… よくわからない。

人がデータを順序づけて物語化して記憶することは、よく知られている。しかし、さらに大きく踏み込んで、その物語順序が時間や空間を作っているという哲学的主張には、一度もお目にかかったことがない。

いや、正直に言おう。一人だけ、最先端の脳科学とまったく同じことを言っているエンティティが存在するのだ。

バシャール:だからこそ、皆さんは「物語」を体験したいので、「時空」を体験することを選んでいるのです。 

BASHAR(バシャール)2017 世界は見えた通りでは、ない バシャールが語る、夢から覚めてありありと見る、世界の「新しい地図」。

BASHAR(バシャール)2017 世界は見えた通りでは、ない バシャールが語る、夢から覚めてありありと見る、世界の「新しい地図」。

 

 凄いな。どの分野の最先端の知見を調べても、バシャールの主張と重なってしまう。

2018年、自分がどこへ向かうべきか、助言を賜らんとして、スピリチュアルな方々を歴訪すること2人目。一人目の方から「もっとわくわくして書くこと」というバシャールそのままの助言をいただいたが、その方はバシャールにはお詳しくない方だった。

「突撃隣のバシャ―リアン」とばかりに、二人目に訊くと、ちょっと待っててとスマホを触ること数十秒。

「あなたともつながれるって。コツを覚えてね、だって」と彼女は言った。

「誰が?????」

疑問符が5個も並ぶのも無理はなかった。彼女はこともなげにこう答えた。

「バシャールが」

「!!!!!」

頭の中を巨大なしゃもじがぐるぐると回っている。どうやったらコツをつかめるのだろう? 興味津々だ。しゃもじは純和風なのに、斜文字はどうしてイタリックというのだろう。世の中知りたいことだらけだぜ。好奇心が疼いてきた。 

いまアクセスしてみたが、返事はなかった。何としても早くアクセスして「色よい返事をもらうにはどうしたらよいか」の啓示を賜らねば。誰かバシャールとつながる「コツ」を教えていただけないだろうか。誰か?

そう書きつけながら、私は時計を見ていた。確か、今日は締め切り時間があったはずなので、「今時間」を知りたかったのだ。とさりげなくハイデガー用語を使って、格好良いところを見せられた。正確な漢字で書くと「魅せられた」と思った瞬間、「今時間」を打とうとした画面上に、「今鹿」と打ち損じてしまったのに気づいた。

今しか… だめ… なのか?

フロイト的に言えば、打ち間違いは潜在意識の表出なのかもしれない。どうなっていくのか、自分は。そう暗闇の中で呟いていると、ふっと一陣の風が自分の頬を撫でて過ぎていった。

閃いた。ひょっとしたら、自分は「谷」から這い上がることができたのかもしれない。「谷」を越えた者にだけ吹き付ける「風」に、頬を撫でられたのかもしれない。

今晩の夜空は、星々がきらきら輝いていて、とても綺麗だ。きっと間違ってはいないだろう。「谷」を越えられたのだろう。私はその打ち間違った「今鹿」こそが、伝説のキラキラネームであることに思い至って、吹きすぎる夜風に、しばらく心地良く全身を吹かれていたのだった。