ティッシュの溶ける無人美術館
涙を拭くには、ハンカチが良いだろうか、ティッシュが良いだろうか。目頭を押さえる程度のちょっとした涙ならハンカチ、涙腺が暴れて鼻腔の粘膜までが連動するような咽び泣きならティッシュ。使い分けの基準は、そんなところだろう。
涙がこぼれるような映画ではなかったが、ここで語った『ダウンタウン・ヒーローズ』にささやかな零れ話があった。
旧制高校独特のバンカラ文化を活写するのに、北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』から、いくつか逸話が引用されていたのである。文化祭か何かで、寮の乱雑きわまりない部屋の扉に覗き穴を作って、「ここからゴビ砂漠が見えます」と貼り紙がしてあるのを女生徒が覗くと、「ゴミ砂漠」が見えるという展示物、あるいは、体育祭か何かで、応援席から巨大すぎる団扇をあおいで、相手校の卓球選手のサーブを風で狂わせる場面には、旧制松本高校で学んだ北杜夫の実体験が反映されていたようだった。ただし、いずれも約四半世紀前の記憶に頼った話だ。
その映画が作られた前後、自分は厚生省指定の難病に罹患して、長期入院していた。生徒会長で、サッカー部レギュラーで、異性に人気があって、勉強もできて… という具合に、幼い中学生が求めそうなものを残らず手に入れていた絶頂から、余命20代までと宣告されるような奈落へ突き落とされてしまったことになる。
いま振り返ってみれば、あそこで「転落」したからこそ、そして自分の生命が20代までだと悲観して自暴自棄の破れかぶれの青春時代を送ったからこそ、思い知ることのできた世の中の真実は少なくなかった。禍福は糾える縄の如しとは至言だ。
難病の子供たちが集められた小児科病棟では、「友達」が次々に亡くなっていった。死の恐怖から逃れようとするかのように、自分の欲望は読書へと向かった。坂口安吾や太宰治を読み耽った14歳の夏。北杜夫の処女作『幽霊』も愛読書だった。
……背後でもの音がした。ふりむくと、つい今しがた学校から帰ってきたらしい一人の少女が、ランドセルを片手にさげ、首をかしげて、じっとぼくの絵に見いっていた。もの怖じした影はなく、いきいきとした表情が、思はずぼくに親しげな言葉をはかせた。
「なんだか、わかる?」
少女は首をこっくりさせた。そしてぼくをびっくりさせ、意味ありげな錯覚をひきおこさせたことには、単調な、一音一音くぎるような口調で、こう答えたのだった。
「ゆ、う、れ、い」
「どうして? 幽霊を知ってる?」
彼女は笑った。見たこともない客に対する気がねも知らず、芯からおかしそうに。
「夢に見るわ」
「こわいかい?」
「こわくないわ。こわくないって、ママが教えたの」
「……その幽霊って、なに? どんな幽霊?」
わからない、と少女はこたえた。そしてこうつけ足した。
「幽霊って、この世にいるものじゃないわ。頭のなかだけにいるものよ」
「ママがそう言ったわ。気の毒な人にだけ、幽霊が住み込んじゃうんだって。あなたは気の毒な人だって」
彼女はまた笑った。まるで誰かに喉かなんぞをくすぐられたときのように笑ってみせた。
「ほくも幽霊の夢をみるよ」
「そう?」
少女はまじまじと、つぶらな、まだすこし虹彩のあおみがかった目を瞠いて、こちらを見上げた。どことなく、気の毒そうに。
ロリータ・コンプレックスやマザー・コンプレックスやシスター・コンプレックスは、向きや大きさが違えど、複合図形として相似が成立するのは、よく知られた話。『幽霊』でも、終章で小説を括り上げるように、上記の「純粋な少女像」が「母親や姉の記憶」へとぎゅっと結びつけられる。
ひょっとすると、いつか、どこかで、いまはもう特定の個人ではないあの少女――ぼくの母の稚いときの像、ぼくの姉の成長した像であるあの少女にめぐりあうことだってあるかも知れない。
過剰なまでの瑞々しさとリリシズムに満ちたこの処女作が、自分にとっては純文学の処女読書となった。ところが、 ある日、自分の病室に戻ると、ベッドの脇の書棚に「検閲」が入ったのがわかった。太宰治の黒い背表紙の塊が、灰谷健次郎の黄色い塊にすり替えられていたのである。看護師の一人が「犯行」を自白した。もっと中学生らしい本を読んだ方が良いかなと思って。
「姉さん、ぼくは生命限られた斜陽族です」と反論して新潮文庫の黒い塊を取り返す勇気もなく、どこか素直なところのある自分は太宰をあっさりと見捨て、「検閲」の通る司馬遼太郎を濫読するようになった。
「杉丘市」は司馬遼太郎『坂の上の雲』の舞台ともなった街。安藤忠雄設計の『坂の上の雲』ミュージアムを訪れたあと、そのモデルとなったゆるやかな毘沙門坂を登っていけば、右手に有名な抹茶大福屋、左手に(「KENZO TANGE」と私が勝手に名付けた)タオル・ハンカチを購入できる観光土産屋が現れる。定番の観光ルートは司馬遼太郎のあの坂に沿って伸びている。
しかし、安藤忠雄が設計した建築が、もう一つこの街にあることを知る人は少ない。松山市郊外の見晴らしの良い山の上に、いつも誰もいない無人の美術館がある。例によってコンクリート打ちっ放しとガラスをハイセンスに組み合わせた建築は、一目で安藤忠雄の設計だとわかる。受付らしきカウンター上のノートに記帳だけして、無料で館内を観覧できる。
その空間が好きでたまらず、曲がりくねった山道を車で走って、何度も一人で訪れた。誰もいない無料の美術館なのに、何とシャガールの「ダフニスとクロエ」の連作が、時系列にそって廊下に展示されているのである。
2世紀末(!)に書かれた「ダフニスとクロエ」といえば、ラヴェルのバレー音楽か三島由紀夫の『潮騒』 が、その翻案の代表作に挙がるだろう。
『潮騒』はこれまで何度も繰り返し映画化され、吉永小百合や山口百恵が主演したこともある戦後文芸映画の人気作品だ。都会の文明から隔絶した孤島で、純朴な男女が困難を乗り越えて結ばれるという筋立ては、呆気にとられるほど三島らしさを欠いている。『潮騒』こそが、「ギリシア転回」を経て、自分を自分の反対物に化身させることで、「人生という名の邪教」を生きようとした三島の営為の代表作だというのが自分の考えだ。
(『鏡子の家』執筆中に建てたスペイン風の新居に文壇人を集めて、毎年クリスマスパーティーを開いていた時期が、三島にはあった。真剣に「人生という名の邪教」を信じようとしていたのである)。
生きるためには、自分の反対物にならねばならず、そうなるためには、禁欲的な刻苦勉励がなければならなかった。それなのに、少しも理解されないという孤独。自分が三島に接する時に感じる通奏低音は、この「刻苦勉励と孤独」だ。
もし、ジャン=ピエール・リシャール級の文芸評論家が三島由紀夫を読めば、必ず言及するだろう主題群がある。
例えば、初期作品の『盗賊』で失恋者同士が屈折した動機から心中し、その瞬間、自分を退けた相手同士のカップルから「真に美なるもの、永遠に若きもの」が、誰か巧みな盗賊によって根こそぎ盗み去られているのに気付くという結末。
例えば、敗戦日の8月15日を跨いで書き継がれた『岬にての物語』で、11歳の少年が若く美しい男女の心中の現場に居合わせて体験を、後年の「私」が探し求め、それとひきかえなら、命さえ惜しまないであろう「一つの真実」とする結語。
例えば、難解な作品とされる『獣の戯れ』で、一人の女と二人の男が入り乱れて愛し殺したあと、女囚となった女の顔から「決定的に」若さと美しさが消失していると書かれる結末部分。
それらが『潮騒』の牧歌的で幸福な婚姻譚とは、鏡に映した文字のように正反対であることにも驚くが、露呈したこれらの主題的反復をどの文芸批評家も語り得なかったことにも驚きを禁じ得ない。ましてや『潮騒』に熱狂した大衆の誰がそれを知っていただろう。そこに最も色濃く露出した三島の「反対物にならんとする刻苦勉励と孤独」を。
さて、それが邪教かどうかはいざ知らず、かつて自分にも、それを生きたいと願っていた人生があった。「ダフニスとクロエ」が一枚一枚カレンダーをめくるように、結婚と幸福へと到達していく連作群を見ているうちに、アレをこの無人美術館でやるしかないと確信した。
そう思いつくと居ても立ってもいられなくなり、早速美術館へ下見に出かけた。次に来るときは、交際女性とふたりでシャガールの連作を鑑賞することになると考えていた。
誰もいない美術館へ入って、一枚一枚シャガールの絵を見た。一枚ごとに、どのようなコメントを彼女に言うか、あるいは沈黙するかまでを考えながら。笑わずに聞いてほしい。シャガールを鑑賞し終えた二人は、たぶんこの辺りに座ると良いだろう。うまく誘導しなければ。そして… もうおわかりだろうか。私はそこで彼女に求婚するつもりだったのである。
下見をしていると、人の気配がした。若くて美しい女性が一人で美術館へ入ってきた。彼女は廊下に展示されている絵をとくに見つめることもなく、退屈な散歩をしているかのような足取りで、突きあたりのホールへ現れた。知っている女だった。
美術館であっても、他に人はいない。私たちは久しぶりの再会に気兼ねのない嘆声をあげた。彼女はSといって、小学生時代の同級生。聡明で優しく可愛らしい女の子で、クラスの中心にいるマドンナ的存在だった。
「ふふ。聞いたわよ。Mと付き合ってるんだって?」と、Sが悪戯っぽい笑顔で訊いてきた。私は頷いた。彼女はこう言った。「そういえば、小学校のとき、私とMの交換日記をこっそり読んだりしていたでしょう。あの頃からMのことを好きだったっていうこと?」
Sは、私が求婚しようとしているMの親友だった。一瞬、胸が締めつけられるような痛みが走った。自分が好意を抱いていて、小学生らしい悪戯を仕掛けた相手は、MではなくSの方だったのだ。笑いながらこう答えた。
「憶えてないよ。そんな昔のこと」
「ふふ。どうだか。…Mのどこが好きなの?」
「好きっていうか、自分が一番つらかった時期にそばにいてくれたから、そばにいて何かしてあげたいっていう気持ち」
「結婚するんでしょう?」
私は微笑しながら首をかしげた。女は勘が良い。飛びっきりの求婚をしてMを驚かせたかったので、それ以上は話せなかった。照れくささをごまかして、ここへ何しに来たのと、逆にSに訊いた。
Sは私とは別の方向にかかっている絵画へ目を転じた。その大ぶりな絵を、地図を見るように、ところどころへ視線を振り向けながら、しばらく見つめていた。
「子供のことが心残りで…。別の道があったんじゃないかと思って…」
自分も勘が良い方なのかもしれない。そうなる前から、たぶん、そうなるんじゃないかと思って、そうなってから、やはりそうなったかと溜息をつくことがある。
次の瞬間、Sは煙のように消えていた。絵画の立ち並んだ空間には、もう誰もいなかった。出入口以外に選択できる道はなく、どの絵画も地図のようには道を示していなかった。それでも彼女は消えた。溜息が出た。Sに何か言わねばならなかったことがあった気がして、どうしてもそれを思い出しておかねばならない焦燥に駆られて、呼吸が苦しくなったところで、目が醒めた。
夢の中のSは20歳すぎくらいだった。お互いに東京の大学へ行っていたので、帰郷する同じフライトに乗り合わせて、空港の通路でばったり出会ったことがあった。あのときの若くて美しい面影のままだった。
これまでの人生の中で、自分は何度か幽霊にあったことがある。自殺に追い込まれそうになる分岐点の直前で、自殺したらしき若い女の幽霊が現れて、耳元で助言を聞かせてくれた。同じく自殺したらしき10代の少年の幽霊は、私の部屋の隅に座って、心配そうにこちらを見ていた。なぜだかわからない。そうなっても少しもおかしくなかったのに、自分は自殺も病死もしなかった。Sの幽霊に逢えるなら、逢って話をしたい。
空港で偶然出会ってから数年後、Sは結婚して、子供を産んで、やがて自殺した。Sの死後10年ぐらいたって、交際を始めたばかりのMから、そんな風に聞かされた。幼い頃は親友だったMも、大学生になった頃からSとは疎遠になり、自殺した理由も結局よくわからないのだとか。
あの無人美術館は「杉丘市」の山の上に本当に実在した。しかし、私がそこを訪れることは二度となかった。下見した直後、いつも行っている無人美術館に今度は二人で行きたいと言うと、勘の良いMは遠回しに丁寧に断りを伝えてきた。たぶん、世界的な作家と関係があるというような非現実的な話をしたせいで、私を関係妄想の患者だと錯認したのだろう。いや、ラジオの話をしたのがいけなかったのだろうか。
いずれにしろ、Sは私が死ぬはずだった20代でこの世を去り、Mは私のもとを去り、無人美術館は改装されて、市民が立ち入ることのできない高級ホテルとなった。
一度だけ、あの無人美術館のことが心の中でありありと蘇って、異国の地にいることも忘れて、泣き出したくなったことがある。
ここで話したホテルの一角を歩いていて、カジノがあるのが目に留まった。「思い出の一枚にしたいので、入口の写真だけ撮らせてほしい」と同行者に頼んだ。「入口が何の思い出になるのよ」と同行者は笑っていた。泣きたい気がしているのに、特に意味もなく私も笑った。それはなるべく多く笑い合わねばならない旅行中のことで、もし自分の人生に「本当」が存在しつづけていたなら、そばで笑っているのはMのはずだった。その写真には「ティッシュが溶けた場所」というキャプションを心の中でつけている。
涙を拭くには、ハンカチが良いだろうか、ティッシュが良いだろうか。目頭を押さえる程度のちょっとした涙ならハンカチ、涙腺が暴れて鼻腔の粘膜までが連動するような咽び泣きならティッシュ。使い分けの基準は、そんなところだろう。
普通、ティッシュは水に溶けない。カジノ場で大枚が溶けても尚、この街ではありえないような巨額の金が動き、一流の建築家の美しい設計図面を得て、奇跡のように出現したあの無人美術館。もし、あのときのまま美術館が現存していたら、エリエールのポケット・ティッシュを持って行って、思うさま泣くことができただろう。
しかし、過去の一時点に立って、思い通りにいかなかった人生に仮定をいくつ積み上げても、決して過去へと戻ることはできない。(そうわかっていても、Mにひとことだけ、「すべて本当だったんだよ」とだけは、どうしても伝えたいという気持ちがある。いつかそれは可能になるのだろうか?)。そこに真実が籠っているのなら、ティッシュを溶かす涙だってあるだろう。水に溶けるなら、水に流せるかもしれない。
太陽が真上に来ている20代の若さを境界線にして、死ぬはずだった自分が生き延び、生きるはずだったSが亡くなったことの意味を、自分は背負っていこうと思う。
あれから四半世紀。自分の人生は夕暮れへとさしかかっていくところだ。それはまた、薄闇の中で「誰そ彼」の問いが生まれる時間帯でもあるだろう。若くて未熟だった自分には見分けづらかった生者と死者の境界線が、夕暮れに慣れた目には、かつてより識別しやすくなっているように感じられる。立ち止まってはいけない。自分にしか聞き届けられない声なき声があるなら、もっと先へ、もっと遠くへ、歩みをつづけていきたい。ようやく、自分がいま生かされている理由、旅をつづけている理由が、わかったような気がしているから。