いつかランドセルを背負うタラちゃんのために
自分の出自とは関係がないと思う。属している文化的種族のせいで、これまで歩んできた道であまり接触してこなかった人々がいる。ヤンキーとか珍走団とか言われる人々だ。そういった種族の人々が右翼思想と親和性が高いのは、社会学では有名な話。
その周辺から政権内部にまで登り詰めた人が、外来語ではなく日本語を優先的に使わんとする国粋主義的試みをおこなって、IT社会に蔓延するあの概念に「出自」という漢字をあてたことが、報道されていた。アナログでないあのカメラはきっと「出自亀」と書くのだろう。
いわゆるギャルと呼ばれる種族とも、残念ながらこれまで人生で縁がなかった。その生態をほとんど知らないので、電通がマーケティング分析しているサイトで勉強させてもらった。
ギャルラボでは、ギャルマインドを「心(ラブ)」「技(デコ)」「体(ガッツ)」の3つで構成されているととらえています。
なるほど、「心(ラブ)技(デコ)体(ガッツ)」がギャルの構成要素なのか。きっと『トラック野郎』の菅原文太も、筋金入りのギャルだったのだろうな。
建築家の磯崎新が、原爆を落とされたせいで、広島は市街地が焼け野原になったばかりか、 共同体としての因習的な人間関係までが根絶やしになったので、広島に『仁義なき戦い』が生まれたのだと語っていた。一流の建築家はカルチュラル・スタディーズまで楽々とこなしてしまう。自分も多分野批評をさらに頑張らねばと思ったのは、ギャルのモデルが先輩モデルに「モテを狙ってナチュラルに逃げずに、ギャルを貫け」と説教されている場面を、たまたまテレビで見かけたとき。
あ、「コムデギャルソン」だなと思った。
なぜ「コムデギャルソン」かわからない人は、フランス語のできない人だ。なぜなら「コムデギャルソン」はフランス語で「コムパでギャルだと損だ」に由来するからだ。
と、自信満々で書いたあと、調べてみると全然違っていた。仏文科を卒業して20年以上経っているので、フランス語を忘れてしまったらしい。申し訳ない。
コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)のデザイナーの川久保玲(Rei Kawakubo)は1942年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。旭化成に入社し、繊維宣伝部でスタイリストを経験。その後フリーランスの活動を経て「コム デ ギャルソン」の婦人服の製造と販売をスタート。1973年に株式会社コム デ ギャルソンを設立、レディースウェアの製造販売を開始。ブランド名の由来はフランス語で「少年のように」、川久保は、ファッションの正規教育を受けていない。
ギャルソンのスタイルは、社会に流されることのない、自立した女性像をデザインに落とし込んだもので、従来型の女性らしさのない、ルーズなシルエットに黒などモノトーンな色を多様、孤高の女性を描いた。
現代思想には、ファッション批評というジャンルもあって、これも先鞭をつけたのはロラン・バルトだと思う。日本では鷲田清一の『モードの迷宮』が名高く、現在でもセンター試験の国語で最頻度で出題される評論家であることでも知られている。
コムデギャルソンについてなら何か書けるかもしれないと思って、まずこの本を手に取った。これは非ファッション通の自分にもわかりやすい論点が出揃っている。
まずはギャルソンがヨーロッパ大陸に上陸したときの反応が凄まじい。「不吉な未来を予告する醜悪なスノビズムだ」、「これ以上できないほど貧乏に見せたい人のための新しいスタイル」というのはまだいいとしても、「ヒロシマシック」とか「精神病患者の服」とかいう評言の不適切なルーズさには、やや拳が固くなってしまう。被爆者が顔に負った火傷の有徴性は「シック」なんて言葉ではとても言い表せるようなものではない。
ファッションとしては、まったく似ていないシャネルの延長にギャルソンを位置づけるのも納得。今はシャネルの絢爛豪華なブティックを訪れても見えづらいが、シャネルには男性の欲望の化身であるコルセットの拘束から、女性を解放した偉大な功績がある。
- 締め付けられた女性の肉体を解放した、ジャージー
- スカートから女性を自由にした、パジャマルック
- 全ての女性に香水を、シャネルNo.5
- 階級の垣根を取り去った、リトルブラックドレスとコスチュームジュエリー
- 女性の両手を自由にした、シャネルバッグ
- 女性の社会進出を後押しした、シャネルスーツ
では、コムデギャルソンの川久保玲は何から女性を解放したのだろう?
たぶん、シャネルからさらに進んで、女性の服装上の記号が男性からの視線によって分節化されて、ファロゴサントリックな欲望体系の階層に組み入れられることから、女性を脱出させたのだ。かつて Mrs.と Miss によって女性が男性の欲望体系の中で明確に階層づけられたように、フリルやリボン、はたまた「花(=植物の生殖器)」にどのように似せられているかまでが、男性の欲望体系の中で記号として機能する。
コムデギャルソンが黒を基調にそのキャリアを始めたという事実も、この文脈にある。ギャルソンはゴルチェめいたトランスジェンダーではなく、非ジェンダー、もしくは脱ジェンダーの女性服を、世界で初めて創始したのだろう。
というぐらいのことは、たぶんもう誰かが書いてしまっているにちがいない。そう思いながら、この本にざっと目を通してみると、これも実に面白かった。それにしても、どうしてこんなにも多くの建築家が、コムデギャルソンについて語っているのだろう?
熟読したのは、千葉雅也のインタビュー。この人はどんな分野の話をしても面白い。思想家の立場からどのようにファッション批評を批評していくかを、さらりとこなしている。
改めてびっくりなんですよ。だって何着たっていいじゃないですか。だめなの? 人間が、っていうか女と男が着るものってこうじゃなきゃいけないよねっていうのと、ここまでいったらちょっとまずいよねっていう微妙なはざまで小競り合いしているわけでしょ、ファッション史って。何をそんなちまちましたことやっているの、みたいな感じがするわけ。ギャルソンとか、あのくらいの前衛性で何がそんなにすごいんだろう、って思っちゃうんですよね。(…)
もちろんファッションギャルソンが革新的であったのは事実で、それは日本の宝として大事にすべきだと思うんですけど、ただね、ジャンル横断的な文化史の眼から見たときに、何がそんなにそごいんだろう、ってやっぱり思っちゃうんですよね。
リアル・クローズから程遠いギャルソンのショーを観ていると、決してぬるくないように感じるのが、自分も含めた一般ピープルの感想だと思う。たぶんここで念頭に置かねばならないのは、彼が研究対象としているフランスの哲学者ドゥルーズの途方もない思想展開力であり、それを楽々と咀嚼して多分野に批評精神を駆動できる千葉雅也の俊英ぶりなのだろう。
- 作者: ジルドゥルーズ,Gilles Deleuze,宇野邦一
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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「女と男が着るものってこうじゃなきゃいけないよね」「ここまでいったらちょっとまずいよね」っていう「微妙なはざまでの小競り合い」だと千葉雅也が言うのは、日本人がしばしばその遊びに淫してしまう「定型と定型外しの永劫回帰」だと言ってもいいだろう。「永遠にそれやるつもり?」という感想が最初に洩れてしまう、アレだ。
そのアレが何かを語る前に、臨時ニュースが入った。こんな記事を見つけてしまったのだ。
まさか自分のブログ記事の後追い記事がニュースサイトに出るとは思わなかった。自分が書いた自称第一報はコチラ。
イソコ家の顔である望月衣塑子は、演劇少女時代にミュージカルの「アニー」役を演じたことがあるらしい。ふと、お魚をくわえたドラ猫を裸足で追いかけたくなるような、お日様も笑っているような、そんな希望に満ちあふれた曲だ。
というわけで、ご想像通り、日本国民が抱えている「永劫回帰系の定型」といえば、これはもう「サザエさん」を置いて他にない。「サザエさん」はどうして成長しないまま、ガラスの温室の中で、日本の四季をループするだけの人生を送っているのか?
毎年4月上旬になると、タラちゃんはランドセルを目にして、「ぼくも早く1年生になりたいですぅ」とサザエに切ない声で訴えるらしい。
普通ではない奇怪な何かが進行しているのを感じる。思えば、現在非公開にしてあるこの前身ブログの初エントリで、自分は以下のような一文を草していた。
そこでは、波平が福岡で進駐軍関係の仕事をしていたに違いないことが濃厚に示唆され、ああ、そうか、最後に残ったあの1本の髪の毛はあれを媒介に米軍からのスパイ指令が届いてくるのか、と想像がつけば、波平が最後のあの1本をきわめて大事にしようとする職業的忠誠心もわかろうというもの。ただし、サザエさんが24才で弟のカツオが11才であるという不自然な年齢の開き以上に、戦後進駐軍に仕えたはずの波平がいつまでたっても54才でありつづけるおかしさに勘が働くことが重要で、いやいや、おかしさで言えば、この一家が永遠に若返りつづけていることの不自然さを、一家の登場人物たちが決して内面化しえないことの方が大問題だと言い直すことができれば、批評眼あり。そこに、例えばある文芸評論家が「ガラスの温室」に例えたようなCIA発の日本洗脳計画のほとんど直叙とでもいうべき象徴的布置があるのは間違いなく、試しに濁点を抜いて読んだ「ササエさん」は当然この国を支えて下さった無数の先人たちを象徴しているわけだし、本来いたはずのタラちゃんの妹ヒトデちゃんが抹消されているのは、世界的に互助能力の低い「ヒトデなし」の国を創らんとするCIAの陰謀であると戯れに断言してもかまわず、ササエるヒトデのいなくなりつつ少子高齢化のこの国の行く末が、やはり涙を誘うのだと早々と結論付けても一向にかまわないだろう。ただし、それがどんな物語であれ、やはり書きつけておきたい私流の希望的ハッピーエンドはあるもので、おそらくサザエさんの二次創作小説の主人公はイクラちゃんで、自分達の世界から消えてしまったヒトデちゃんがヒロインで、彼女と異次元交流できてしまった挙句、自分達の世界が無限ループの「ガラスの温室」であると悟ったイクラちゃんが、最後に「は~い」に少しも似ていない独立心旺盛な「No」を呟くところで、その小説は終わるような気もするのだが、そこへ行くまでの物語展開が複雑すぎてどのように考えてもわからず、言い換えれば「いくら」考えてもわからない。
確か、当時は原因不明の高熱に毎晩魘されていた時期ではなかっただろうか。
波平が進駐軍の物資の横流しをしていたという推定は、東京サザエさん学会によるもの。恐ろしいのは、マスオとノリスケがあのインパール作戦の生き残りだということだ。作者の長谷川町子の兄がモデルらしく、兄はマスオとは違って、当然のごとく戦死して帰ってこなかった。インパール作戦を生き延びて帰国できたのは、約9%だった。
サザエさん一家に、もし歴史的時間が流れていたとしたら、2017年現在の生存率はどれくらいなのだろうか。
- フグ田サザエ:1922年 (大正11年) 11月22日生まれ。2017年現在95才。
- 磯野カツオ:1938年 (昭和13年)生まれ。2017年現在79才。
- 磯野ワカメ:1942年 (昭和17年)生まれ。2017年現在75才。
- 磯野波平:1895年 (明治28年) 9月14日生まれ。2017年現在122才。
- 磯野フネ:1901年 (明治34年)生まれ。2017年現在116才。
- フグ田マスオ: 1917年 (大正6年)生まれ。2017年現在100才。
- フグ田タラオ: 1946年 (昭和21年)生まれ。2017年現在71才。
折しも、最大のスポンサーだった東芝は、採算の取れるはずもない原発事業をアメリカに押し付けられて、巨大企業全体が傾いてしまった。あの稼ぎ頭の半導体事業を売却しなければならなくなったのだ。
自民党が政権に復帰し第二次安倍内閣が発足しても、「パッケージ型インフラ輸出」はアベノミクスにおける「成長戦略の目玉」として生き残った。
福島の事故を受け、国内での原発建設は絶望的になった。海外でも原発の安全基準は大幅に引き上げられ、原発ビジネスは儲からない事業になったが、原発輸出が「国策」である以上、東芝の原子力部門に縮小や撤退の選択肢はない。あるのは突撃のみ。儲からない原発の穴を隠すため、東芝は全社を挙げて粉飾決算に励んだ。
経産省は今、東芝の半導体メモリ事業売却にも首を突っ込み、別働隊である産業革新機構を動かして同事業に4000億円もの血税を投入しようとしている。原発推進の国策で東芝を経営危機に追い込んでしまった埋め合わせだとしたら、納税者は救われない。創業140年、従業員数19万人の巨大企業を破綻の淵に追い込んだ張本人は、何食わぬ顔で今も官邸の中枢で日本経済の舵を握っている。
WGIPに代表されるGHQの占領政策に、映画やテレビを使った大衆支配戦略(3SのScreen)があったことはよく知られている。長谷川町子の意志がどうだったのであれ、四季の風物詩だけを空虚に日曜日に再演しつづける「サザエさん」が、サンフランシスコ講和条約後もつづいた、アメリカによる日本の「姿なき占領」を覆い隠す紗幕の一部として、機能してしまったことは否めない。
米軍に籠絡された波平の最後の髪の毛一本を抜いて、何とか正気に戻してやりたい。あのラストヘアこそが米軍の極秘指令をキャッチするレシーバーにちがいないのだから。嗚呼、しかしその最後のヘアをめぐる聖戦には、波平の双子の弟でそっくりな顔をした海平が影武者として登場して妨害してくることだろう。その妨害を一家が乗り越えて、サザエさん一家が、タイムパラドックスのループから逃げ切るハッピーエンドを、果たして自分は書き切れるだろうか。幾多の困難に襲われても、いつか必ず書いてみたい。
というのも、米軍レシーバーの頭頂部のラストヘアを取り去ったあと、戦後史に残る政治家となったアメリカ通の政治家を、私たちは持ったことがあるからである。
以上の発言で分かるように、日本経済の惨状を「資産デフレ」と理解して、日本の金融組織の中核である銀行を救済しようと、宮澤は考えた。(…)日本経済の強さが銀行にあり、その組織を叩きつぶすことによって、つまり日本経済を「銀行を基礎とする間接金融」から「株式を基本とする直接金融」に変えてしまおうという米国の圧力に、厳然と抗する議論を展開したのがこの宮澤演説だった。
当時は橋本内閣の時代だったが、この段階までは日本の政治的指導者たちは、まだ米国の言いなりにはならなかった。宮沢講演の重要性は、つまりここにある。ただし、宮沢も親米の政治家である。米国政治家の気に入りそうな文言をいくつか列挙している。「セキュリタイゼーション」「金融監督庁の新設」「消費者主権」「日米安保宣言」などがそれである。
(…)
「日米安保宣言」の重要性にも宮澤は触れた。それがアジアの平和を維持するからであると。しかし中ロの接近という政治状況に、日本も参加すると明言することによって、中ロ敵視姿勢を持っ米国を牽制することも忘れなかった。
この点において、宮澤と後の小泉内閣との格差は歴然としていた。
仮に磯野家の「波平」と「海平」が進駐軍の物資横流しをもとに、米軍とつながっていたとしたら、それは在日米軍基地をも含む太平洋軍の戦略の中に位置づけられた存在であり、その米軍の太平洋軍事戦略が「波平」「海平」という命名に込められていると考えるべきだろう。
そして、東アジアの軍事的要衝であるとの偶発的理由だけから、米軍基地が集中している沖縄の現状を想えば、「そんなの関係ねぇ」とばかりに基地移転を求め、地元の島を取り戻そうとする愛郷心もわかる。
噂される憲法改正後の1%軍産複合体を潤す目的の日中戦争が、万一、おっぱじまったらピックリして、平和ボケした国民はあわてふためくことになる。慌てるだけではすまず、凄惨な損失を被らねばならないだろう。
このような背景のもとで、沖縄出身の憂国の士が激しく身体を揺らしながら、米軍の軍事支配戦略とは関係ねぇ本当の Ocean Pacific Peace を繰り返し希求する祈りを捧げてきたことの真価を、私たちはまだ知らずにいる。
…と、冗談を言えるのもここまでだ。
恐怖の男・安倍氏は、男に生まれながら男人形として、日本の名で世界を歩くでしょう。「はい、わかりました」、この言葉をためらわず言える政治家は生き、少しでも躊躇した政治家に、いい役が回ることはありません。
その人こそ、わが国が「戦争」の言葉を身近に感じる流れを作る人物であり、操り人形です。政治家たちのランクを、国民1人ひとりが見極め、日本の国のために命を捧げられるほどの人間選びをしなければ、草も口にできなくなります。
東日本大震災以前に、「陸前高田という声が聞こえる」という言葉とともに、震災や津波を予言的中させた霊能者の松原照子は、現在から約40年も前に、恐ろしい予言をしている。
「戦争」+「草も口にできなくなる」を足し算するとき、上記記事の百瀬直也の「原発事故」という予測は、いささか楽観的に響きはしないだろうか。或る元自衛隊員は、自分一人で原発へ侵入して大事故を引き起こすことは、充分に可能だと語った。
日本の国土に放射能が満ちるような大事故は、1%軍産複合体に捧げる戦争の中で、軍事攻撃によって生じると考える方が自然だろう。そうなら、攻撃されて苛酷事故へ至るのは、原発1基で済むとは限らない。嗚呼、何ともうら悲しき黄色い猿の国!
ところで、深い事情があって、フルタイム勤務と並行して早書きしているせいで、張っておいたはずの伏線を回収し忘れてしまうことがある。百舌の早贄のように、木の枝に刺しておいて、後で食べに戻るのを忘れてしまう感じ。
上の記事では、この部分を回収し忘れた。
光のない完全な闇は苦手だ。幼稚園生の頃は完全な闇が怖くて、寝る時に電灯の豆電球を必ずつけてもらった。「電気を夕焼けにしてほしい」という表現で、よくそうするよう頼んだものだ。寺山修司は完全な沈黙が嫌いだったらしい。「少し隣の部屋で騒いでいてくれないか。そうじゃないと眠れないから」という逆説的な言葉を残していたはず。
何とかここから使い回せないだろうか、と考えているうちに、昨晩誕生日だった或る政治家のことを思い出した。 「国民ひとりひとりが政治家たちをよく見極め、日本の国のために命を捧げられるほどの人間選びをしなければ」。
本日は、43歳の誕生日でした。
— 山本太郎事務所・広報 (@taro_koho) 2017年11月24日
事務所で、お祝いをしました。
実り多い一年にしたいと思います。 pic.twitter.com/n9tigPiSXp
国民のための国づくりに生命を燃やしてくれる政治家に、絶世の美女から歌の贈り物が届いているようだ。
そのついでに、有名なあのモンローの名言を、ここで思い出してもらってもかまわないだろうか。
「寝るときには何をつけて寝ますか?」
「シャネルの5番よ」
あまりにも高価なせいで特権階級だけの物だった香水を、技術革新によってすべての階級の女性へと届けたのは、コムデギャルソンの先駆的存在とも言えるシャネルだった。
想像させたいわけではない。遊びだと思って、自分にも同じ質問をしてくれないだろうか。
「寝るときには何をつけて寝ますか?」
「豆電球。
…この世界がスプーンひと匙ぶんでもマシなるように、もうすこしアイディアを練ってみたいんだ。いつかランドセルを背負うタラちゃんのためにもね」