涙が乾くまでの静寂を埋めてくれるのは

 

連日連夜フルタイムの仕事と並行して書くこと、200エントリ。犀を題材に書いた記事まである。一瞬だけ、犀に憧れたことがあって、その写真もどこかの記事にアップしたことがある。ウォーホルの詩神だったイーディー・セジウィックが、きわめて短い人生の絶頂にいたときの写真。 ウォーホルは「人は誰でも30分だけなら世界的有名人になれる」と言った。自分も3分くらいなら、写真の中の犀になってみたい。

といっても、写真の日付は、自分が生まれる前の1965年。今では可愛らしい姪っ子たち相手にほぼ同じことをしているので、「犀になりたい願望」は充足してしまった。できれば来世は、犀以外の生き物にしてくだ犀。

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今回も見つからなかったのは残念。

「サイダー」の駄洒落を探したが、索引付きの『ダジャレヌーヴォー』には載っていなかった。「犀だ」は安直すぎて、とても使えそうにない。元の単語は「サイダ」ではなく「サイダー」なのだから、横棒までケアした駄洒落の方が、気が利いているのではないだろうか。

 2. 概念結合(無関係なものを結びつける):離れた二つの概念を結びつけると真の創造性が生まれやすい。 

昨晩、真に創造的であるとは何なのかを確認したばかりだ。真に創造的たらんと切望している自分が、なぜ駄洒落というジャンルを選んでいるのかは、自分でも謎だ。ただ、どうせ駄洒落るなら、概念操作の地図上で、もっと遠く離れたものを駄洒落にしたい。どこでできるかわからないが、この記事のどこかで挑戦してみることにする。

なぜサイダーが頭に浮かんでいるのかというと、ふと今まで飲んだことのない「沖縄サイダー」を賞味したくなったのだ。 

「沖縄サイダー」を飲んだことがないばかりか、人生の大半を多忙と辛抱と貧乏に支配されてきたため、沖縄へ行ったことがないというアンビリバボーな境遇にいる。沖縄サイダーを片手に、ご当地の紅芋アイスをスプーンで口へ運んで、「とっても美味しいです!」と食レポできたりしたら、カーニボー級の楽しさだろうな。

例の「神童グループ」の海辺のCMも楽しそうだ。

三ツ矢サイダー」で思い出した。

高校時代に、姉・弟・妹の順に生まれた仲良し三姉弟をよく知っていた。とても優しい温かい家庭で育った三人で、外で飼っていた犬が寒そうで可哀想だからといって、室外犬を室内で飼うほどの優しさに満ちていた。ところが、犬が室内で大喜びでじゃれたがるので、落ち着いて食事ができなかったらしい。犬を再び追い出すのが忍びなくて、ご家族で立食形式のハイテーブルを囲んで、夕食を食べていたとか。犬は自由気儘に外へも飛び出したがるので、ドアの閉め忘れにも細かな気を遣っていた。

 強い愛情で育てられた三人は、いつも一緒にいて、どんな苦難に遭遇しても、タフでポジティブだった。毛利元就の「三本の矢」の伝説そのまま。

今晩は、「三ツ矢三兄姉」のタフさとポジティブさにあやかりながら、今後数十年、AIの進化による「技術的失業時代」をどう生き抜くかのヒントを考えたい。

この分野の未来予測を牽引する井上智洋は、技術的失業時代が訪れても、次の三つのタイプの仕事は生き残るだろうと予測している。

  1. クリエイティヴィティ系(Creativity、創造性)
  2. マネージメント系(Management、経営・管理)
  3. ホスピタリティ系(Hospitality、もてなし) 

 この3つをじっと見つめながら、現在ある仕事数が10~20年以内に半減していく未来について、イメージ群を探査していた。爽やかな炭酸飲料からは程遠いところで、人々が苦心惨憺している様子しか思い浮かべることができなかった。

1.のクリエィティブ系は、現在の芸術家関連の仕事の収入の低さが、大量の技術的失業によって強化されてしまう可能性が高い。2.のマネージメント系にしたって、AIの導入によって取締役数は削減され、現在の労働者数の1/1000以下の微小規模しか生き残らないだろう。3.のホスピタリティ系は有力に思えるが、エイジズムに勝てる愛嬌ある若い女性の活躍は見込めても、それ以外の年齢や性別に属する人々の行き場がなさそうに感じられる。それに、愛嬌ある若い女性だって年を取るし、その若さの喪失を理由に別の若さに取って変わられなければならないのなら、それは淋しい職業だろう。

 この3つの方向性を、三本の矢のごとくしっかりとまとめた職業はないものだろうか。

ありっこないだろうと普通の人なら考えそうだ。でも、できっこないことをやらなくちゃ。ここは強気になって、少なくとも1つだけはある、と断言してみたい。

THINK WILD あなたの成功を阻むすべての難問を解決する

THINK WILD あなたの成功を阻むすべての難問を解決する

 

 今晩はベンチャー企業の話を書こうと思っていた。ところが、図書館の蔵書に検索をかけても、ほとんど引っかかってこない。街一番の本屋さんへ行けばあるだろうと思って書棚の前に立ったが、ほとんど見当たらなかった。

そのような読書候補の残骸の中で、最も輝いていたのが本書。出版社の宣伝文句はこうだ。

シリコンバレーから中東、アフリカ、そしてブラジルの路地裏まで、世界中のありとあらゆる場所で600社、1000人の起業家を育てた「今世紀最高のメンター」からのアドバイスシェリル・サンドバーグFacebook)、リード・ホフマン(LinkedIn)、マイケル・デル(DELL)大絶賛!

 「メンター」というのは、経験不足のファウンダー(創業者)をサポートする助言者のこと。リンダ・ロッテンバーグが最高のメンターであることは、600社と1000人を育てたという売り文句より、本書の充実した内容で伝わってくる。

(下の記事は、ロッテンバーグの会社エンデバーの社員が書いたもの。経験豊富であることが伝わってくる) 

それにしても、ベンチャー関係の日本語文献の少なさはどうしたものか。あるにはあって、資本調達の方法や経営戦略論や特定企業のサクセス・ストーリーなら、本屋の書棚から手に取ることはそれほど難しくない。

そのようなナッツだけは書きたくないと著者が熱望しただけあって、「THINK WILD」の読みごたえと面白さは、ほとんど独走状態だ。メンターには経営コンサルタント能力が不可欠。「今世紀最高」との称号も伊達ではなく、ロッテンバーグの情報収集力、分析力、コピーライティング力の卓越性のすべてがこの一冊に詰まっている。

情報収集力でいうと、600社1000人の起業家を育てた自社データべ―スに加えて、スティーブ・ジョブズジェフ・ベゾスイーロン・マスクなどの新興企業の有名どころはもちろん、アルマーニエスティー・ローダーなの多業種多企業の事例が収拾されている。相当な勉強家のようだ。

分析力でいうと、ナンバリング付きの箇条書きが頻出する手際の良さが目立つ。相談に来た起業家に必ず示す六か条の1つ「義理のハハをクビにする」という項目名には、ロッテンバーグのコピーライティング能力の高さも窺える。ちなみにその項目は「義母と縁を切れ」という意味ではなく、創業以来の友人との慣れ合いを解消せよという助言。

こうまで多種多様な企業事例を扱いながらも、それらを手際よく箇条書きにできるのは、人間性と心理に分析を加えることで、成功阻害要因を抽出しているからだ。それを突き詰めれば、起業家の性格類型によってビジネスモデルが決まってしまうところまで行くが、これが結構当たっていて面白い。

  1. ダイヤモンド:人々の想像力をかき立てるビジョネリー(スティーブ・ジョブズ@アップル、マーク・ザッカーバーグフェイスブックイーロン・マスク@テスラ)
  2. スター:カリスマ性たっぷりの流行仕掛人アルマーニエスティー・ローダー)
  3. トランスフォーマー:変化を起こす触媒(インクヴァル・カンプラード@イケア、アニータ・ロディックボディショップ
  4. ロケット:あらゆる面を改善しつづけるアナリスト(ジェフ・ベゾス@アマゾン、ビル・ゲイツマイクロソフト

 自分が関心を魅かれるのは圧倒的に「ダイヤモンド」タイプの起業家たちだ。ジェフベゾスは手広く小売りをオンライン化しただけという第一印象だったので、追跡するのが遅れてしまった。

しかし、アマゾンの実態は違っていて、宇宙開発を含む「超長期思考」と分単位の高速PDCAサイクルを回す「超短期思考」の両極同時追及に挑んでいることは、この記事に書いた。人工知能の開発でいうと、グーグルがアマゾンをリードしているが、顧客との接合面が広いおかげで、より大きな収益モデルを構築できるアマゾンに、かなり大きな生き残りの勝機があるのを感じる。 

「THINK WILD」は、本自体がメンターとなって起業家に助言する形で書かれているので、メンターになりたい志望者向けの本とは言えない。しかし、このブログの読者なら、創造的な起業家は一匹狼ではなく接触や交流を求めている存在であり、年上・同年代・年下のメンターと連携しながら事業を成長させるべし、という部分に、昨日の創造性をめぐる問題系との重なりを読むだろう。

「孤高の天才に突然の閃きが舞い降りる」というのは「神話」にすぎなかった。

創造プロセスは、本人の気付いていないときでも潜在意識で進行しており、外部から降ってくるように感じられる創造的閃きは、実は本人の過去の体験や既存の知識などの内部から泡のように浮かび上がってくるらしい。本人の思考を揺さぶってその泡を浮かび上がらせるのが、社会的コミュニケーションなのだと、キース・ソーヤーは言う。 

スタートアップは、既存業界に対して何らかの形でイノベーティブに働きかけないと、成功しない。だから、創造性の発現プロセスと起業から成功へのプロセスが、大いに似るのである。

しかも、創造を邪魔する「メタ自己認知」の不十分さまで、同じように起業家たちの仕事現場で悪さをする。起業家の「最大の敵」は、自分の夢や社会的欲求や能力を正確に評価できないところからくる自己否定の心理機制と、不安と恐怖のようだ。

「THINK WILD」の中で人々に最も感銘を与えるのは、起業という一種の社会変革に、シリコンバレーに生息するギーク以外の人々を巻き込む普遍性があることを、起業の現場に精通するメンターが、高らかに歌い上げたところにある。

 大きな夢を持つ能力は、国や性別や年齢とは関係がない。イニシアチブを取りたい、事業を立ち上げたい、人生を前へ進めたい、世界をもっとよくしたいという欲求は、誰にでも共通する願いだからだ。

(…)

 だが何よりも大切なことに、わたしたちは「(引用者註:スラム街出身で元ハンバーガー店員の起業家の)レイラがひとりではない」と伝えた。「あなたは、世界を取り巻く大きなムーブメントの一部だ」とも伝えた。それは止めようもない、確固たるムーブメントである。「自分の人生をよりよくし、周囲の人たちの人生もよりよくしたい」と願う者は、ますます増えている。 

 そして、リンダ・ロッテンバーグ自身も起業家支援組織エンデバーを立ち上げようとしたとき直面した「壁」を、こう告白するのである。

 わたしの知るアントレプレナーのほぼ全員が、いつかの時点で同じ体験をしていた。周囲の期待に応える安全な道を進むのか、それとも行く先もわからない道を切り拓くのか。不安と希望の十字路である。

 そして、私は希望を選んだ。「もう後戻りはできない」。目に涙を浮かべながら、母にそう告げた。「随分長く考えてきたことだから。これがわたしのすべきこと、これがわたし本来の姿なの」

 母は唖然としていた。父は驚きのあまり声も出ない。(…)

 あの後あのときの会話を何度思い返したことだろう。アントレプレナーはどこかの時点で必ず同じような転換点を体験する。そして、私はアントレプレナーたちがその瞬間をうまく乗り越える力になりたい。そんな思いが、彼らを支援したいという、私の情熱をかき立てた。誰にも理解されないとき、不安と孤独に苛まれるとき、自分がなりたい姿をついに突き止めようとしているとき――そんなときにこそ、彼らの力になりたい。

(強調は引用者による)

この部分では、ロッテンバーグ自身が経験した不安と希望の克服法を、何とかして同じ難路を進む後進に伝えたいという熱望が滲み出ている。文章の温度が最高に達した部分だと言ってもいいだろう。クリエイティヴィティ系、マネージメント系、ホスピタリティ系のすべてが束ねられたメンターという職業には、人生を懸けるだけのやりがいがあるのにちがいない。 

このあとに続く文章を初めて読み進めたとき、自分は不思議な気持ちに襲われた。そのまま続けて引用する。

  そしてその瞬間をよく表している、カエルのカーミットの姿がある。1979年に公開された『マペットの夢見るハリウッド』のオープニングシーンで、カーミットは『レインボーコネクション』という歌をうたう。夢を叶えることへの賛歌である。「どうしてこんなにたくさん虹の歌があるのかな」と、カーミットは不思議に思う。虹は理想であり、幻想であり、夢の象徴である。虹はあなたに呼びかける声であり、あなたの名前を呼ぶ誰かの声である。「レインボーコネクション」とは、本来あるべき自分の姿をついに見つけたときに、湧き上がる感情なのだ。 

上記の記事で和訳した曲に、思いがけず再会してしまった。それも、この本のいちばん大事な箇所で。

こういうシンクロニシティが何を意味しているのかについて、ここでは語らないことにする。

代わりに、これも不思議な実話をひとつ書き足させてほしい。

自分の個人史では、空港にどこか死の匂いがするような不思議な感触を感じることが多かった。この記事にあるように空港で再会した同級生の女の子も自殺した。

31歳。カフカ『審判』の主人公ヨーゼフ・Kと同い年だった頃、空港の公衆電話から掛けた先で、三姉弟のうち、妹さんが亡くなったことを姉に告げられた。絶句した。まだ20歳そこそこで夭折するとは、夢にも思っていなかったのだ。電話口の姉は泣きじゃくっている。ようやく気持ちが落ち着いて… と口では言うものの、また涙の塊に襲われて嗚咽を洩らすのだった。どうして亡くなっただろう。興味本位とも取られかねないその質問を、私は固く自分に禁じた。もう彼女が帰ってこないという事実の重みに比べたら、私の問いはあまりにもトリヴィアルだったし、その問いが確実に姉を傷つけることが痛いほどよく分かっていたからだ。

どうして、と心の中で呟いた。どうして、あんなに善良であんなに幸福な一家を、不意の不幸が見舞わねばならないのだろう。そんなやりきれない思いで、受話器の向こうから聞こえる姉のすすり泣きと共鳴して、受話器を持つ手が震えた。自分がうまく彼女を慰められたかどうかは憶えていない。当時の自分が、そんな偶発的で突発的な不幸に、落ち着いて上手な言葉を返せたと言い張る自信はない。とても仲の良い三姉弟だった。自分は涙脆いので、もらい泣きするのが精一杯だっただろうか。

それきり、姉と連絡を取る機会はなかった。

 

 

いつのまにか冬になってしまった。時間さえ許せば、もとよりの散策好き。サウナスーツを着込んで、住宅街をウォーキングすることだって、これまでにはあった。

どこかの知らない街、知らない住宅街を歩いていると、日が暮れた20時くらいなのに、夏場は玄関のドアを開けたままにしてある家もある。

通りすがりの他人にすぎないのに、それを見るとどこか落ち着かない気分になってしまう。きっと、そこから逃げ出すような室内犬は飼っていないことだろう。それでも、きちんと玄関の扉を閉めておかないと、何かの弾みでその家から大切な何かが逃げてしまうような、そんな不安な予感を感じてしまう。

○○ちゃん、きちんと閉めておきなさい、ドアは

 いつか、初めて行った沖縄の浜辺に腰かけて、ご当地の沖縄サイダーに口をつけたら、きっとしょっぱい涙の味がするにちがいない。どうして人は、あんなにも偶発的に、あんなにも理由なく、不幸に見舞われるのだろう。その涙の理由を説明するのに、上手な言葉を返せると言い張る自信はない。

しばらく黙っていればいい。涙が乾くまでの無言の静寂を埋めてくれるのは、潮騒