江戸を知らずんばレトリシャンたるを得ず
何が起きているのかよく分からない。自分の小説の一節でいうとこんな感じ。
目隠しされた人質が感じるのと同じ、霧中に取り残された不安を感じて、路彦の背中はひんやりと鳥肌が立った。確たることは何ひとつつかめないのに、奇禍が進行しつつあることだけはわかるのである。
とりあえず、或る程度は好きなことを書いても良さそうなので、ユーモア・エッセイの練習をしようと思い立った。
実は、純文学小説向け以外にエッセイスト向けのペンネームを持ちたいと考えている。いま「スタバ亭四迷」というペンネームを思いついた。二葉亭四迷その人が「くたばってしめえ」という罵倒句の語呂合わせの筆名であるのは有名だ。語呂に語呂を重ねると、昨年滅多に取れなかった休日の午前中のような感じになるので、気持ちも落ち着くというものだ。駄洒落ているのに小洒落てもいる感じが気に入ってしまった。
世にいうユーモア・エッセイの名手といえば誰になるのだろうか。あまり読んでこなかった分野なのでよくわからないが、この歌人の卓抜なエッセイ集は再読した。
穂村弘のエッセイの人気は、ひとりっ子育ちに由来するらしき、「他人にどう思われるか」への自意識過剰の微細な襞を楽しめるところにあるのではないだろうか。
飲み会のとき、離れた席から、ほむらくーん、と呼ばれると、涙が出るほどうれしい。呼ばれた理由が何であってもうれしい。いそいそとそこまで行ったところで「眼鏡外してみせて。ほらほら、このひと眼鏡外すと面白いんだよ」と云われてもうれしい。この世界に、一瞬、触れたことがうれしいのである。
さて、今日も人生上の助言をいただいている「師匠」から、「駄洒落はmust」と釘を刺されてしまったところだ。
「自意識過剰」を隠しテーマにして、小洒落て駄洒落たユーモア・エッセイを書いてみようと思う。
「写真ください」
少し前に写真を中心において、「嘘をつかせる写真」という小品を書いたことがあった。かつて自分がバルト読みだったことが、ほんの少し羞かしそうに顔を出している小説。
『明るい部屋』を今更したり顔で引用して、「ストゥディウム/プンクトゥム」のごとき怪しげな専門用語について語るには、時代が先へ進みすぎたかもしれない。50年代文化で生き残っているのは、チェット・ベイカーの呟くような歌声の他には、数えるほどしかない。たぶん、亡くなった母への追慕を基調に、「写真とは『かつてそこにあった』を現出させるもの」とバルトが断言していることだけを銘記しておくだけで、足りるのではないだろうか。
バルトが論じていなかったことのひとつに、その「かつてそこにあった」が、大胆にも毎年時間軸を遡って、若返りつづけるという現象がある。写真の思い出が若さの記憶に結びつきやすいのは、そういう事情によるのだろう。
フランスの批評家、写真、若さ。
こうやって、あたかも三題噺のお題を与えられたかのように三語句を並べただけで、それに相応しい逸話が記憶の中に実際に横たわっている偶然に、多少たじろがないではない。
しかし、もとより他愛のないエッセイ。それが紛れもない事実なら、語るを禁じられる筋合いもない。23歳だった、とでも書き出して、筆の進むのにまかせようと思う。
源流をたどればフランスのカトリック。明治初頭の孤児院に始まり、名門のお嬢様中学校の女生徒たちが目の前にいた。彼女たちは14歳だった。ぼくは23歳だった。
雙葉中学校はキリスト教系の英語教科書を使っていた。それに準拠した授業をする塾で、ぼくはアルバイト講師をしていた。
今は休み時間。ぼくは教卓の前に立っているが、女生徒たちは、自席を離れてお喋りを楽しんでいる。
ひとり、お喋りの輪から離れて、最前列の席で退屈そうにしている美少女がいた。必要もないのに、ペンケースをいじって、シャーペンをカチカチいわせたりしている。
(いつもは輪に入ってお喋りしているのに、どうして今日は一人でいるのだろう?)
最初に生まれたのは、そんな疑問。少女たちは勘が良い。彼女のことを考えているのがわかったのか、すぐに美少女は顔を上げた。物怖じしない真っ直ぐな瞳で、ぼくにこう言った。
「先生、写真ください」
「!」
心臓が激しく鼓動し始めるのがわかった。いけない。それは決して歩みを進めてはいけない恋路だ。私はさりげなく辺りを見回して、いまの台詞が他人に聞かれていなかったことを確認した。そして時間を稼ぐために曖昧に微笑した。
心の中では、こんな台詞が渦巻いている。
(何を言っているんだ、きみはまだ14歳だぞ! いけないよ、それは。何も知らない純真なきみが、こんなところで汚れちゃいけないんだ)。
美少女は顔を上げたまま、まだもの欲しげな表情をしている。ぼくは喉が急に乾いてひりつくのを感じた。
落ち着け、おれ。23歳は大人だ。大人として、彼女の恋心を傷つけないように、思い出に残る言葉を返さなくては。
「写真はモノとして残っちゃうから駄目かな。先生のことは記憶に焼き付けておいてよ。先生もきみのことをそうするから」
美少女は微かに眉を寄せて、怪訝そうな表情をした。ひょっとしたら、男の子に言い寄って否定的な反応を返されたことがないタイプかもしれない。
(これが、大人への階段だよ)
ぼくは微笑を湛えたまま、心中でそう呟いた。
次の瞬間、少女はこう言い放った。
「写真じゃないですよ、シャー芯。シャーペンの芯もらえませんか?」
派手な物音を立てて、自分の身体が「大人の階段」をもんどりうって転がり落ちていくのがわかった。彼女にシャーペンの芯を手渡す指先が、無様に震えていたのだけは、よく憶えている。
ともあれ、写真というものは、単なる「share scene」にとどまらず、「純粋な」「透き通った」を意味する「sheer」とつながっていて、『かつてそこにあった』人が、撮影した時空を越えて、「今、ここ」にいる錯覚を与えてくれる「sheer scene」でもあるんだ。
と、したり顔で写真論を語り始めようとしたところ、誰も真剣に聞いてくれそうにないのがわかったので、そろそろこの原稿を締め括ろうと思うが、あと少しのところで芯がなくなりそうだ。誰か、シャー芯をくれないだろうか?
まとめるとしたらこんな感じだろうか。ちなみに、実話だ。
穂村弘の『世界音痴』は、何と日本経済新聞に連載されたエッセイらしい。上記の拙文がそのような域に達しているかは甚だ心もとないが、自意識過剰をユーモアでくるむのなら、気取った仏文小洒落調からの急転直下の破顔一笑、そこから写真周辺で韻を踏んでまとめるこんな感じが、自分には書きやすいところだった。
*
ところで、ユーモア・エッセイと名が付く中で、今日は井上ひさしのエッセイ集を何冊か借りてきて、目を通した。
吾輩はなめ猫である―自選ユーモアエッセイ〈3〉 (集英社文庫)
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どちらかというと書き流しの雑文が多かったように感じたが、井上ひさしに度肝を抜かれたことがあったのを思い出した。 それは初期の夢の遊民社の戯曲を卓抜に読み解いた解説。
井上氏が語るに、「見立て」に限らず、「吹き寄せ」そして「名乗り」を含めた三大技法は、日本の伝統演劇や江戸期小説でしきりに使われ、鍛え抜かれてきた『究極の技法』であるのだそうだ。
「見立て」
たとえば、さっきのようなパラレル遊び(笑) つまり、ものを別物に見立てることによって、異なる時、空間を出現させ、そこで遊ぶこと。
「吹き寄せ」
連想の働きによって関係のありそうな“もの”をなにからなにまでかき集めること。連想の糸でさまざまな可能世界を縫い合わせ、登場人物は自由にその通路を駆け抜けることが可能となる。
「名乗り」
登場人物たちは、ある可能世界では「甲乙丙」と名乗るが、その世界が別のものに変わると「実はABC」と名前を変える。いくつもの可能世界を成立させる為の必須の手段と。
当時、旧世代の演劇人からはほとんど「宇宙語で書かれた戯曲」のように扱われていた野田秀樹の前衛戯曲を、江戸まで遡ってその伝統的骨格を指し示すことができるとは、何という批評眼と教養の持ち主だろう。そうすっかり瞠目してしまったのだ。
『吉里吉里人』は熱心に読んだ覚えがある。ユーモア・エッセイを契機に再び前景化したこの文脈を、「演劇通+言葉遊び好き」というインデックスをつけておいて、また時間の或るときに読み込んでみたい。
自分のユーモア・エッセイの出来はともかく、そんな新しい挑戦に目を開いてくれた雪の晩だった。
(今晩友人に教えてもらった曲)