白い砂漠に咲く向日葵

白いシーツにくるまってゆっくりと眠りたい。そんな欲求を抱きつつも、白いシーツのような砂漠を見るために旅に出たい。 瞼のうらにあの絶景を思い浮かべて、そう思うこともある。

レンソイス・マラニャンセスとは、マラニャンセスの白いシーツという意味らしい。鳥瞰するのではなく、雨季を選んで砂漠の上に立てば、白い砂漠と青い湖がミルフィーユのように折り重なっているのが、地平線方向に見えるのだという。あのような白い砂漠に寝そべって、風に砂が煽られてできる風紋が刻々と移りゆくさまを、ぼんやりと眺めていられたらどんなに幸せかと思う。

フルタイムの勤務と並行して、毎晩夜中に書いているこのブログにも、かなり気まぐれな風が吹いているのが、キーボードをたたく指先に伝わってくる。その風がタブラ・ラサの白紙に吹き付けて、書くべき内容を暗示するかのような風紋を描いていくのが見える気がすることさえある。

一昨晩書いた大分のリアス式海岸、昨晩書いた「ずばぬけてさびしいひまわり」、そこへグロマのティーパーのスーニューが飛び込んできてしまって、嗚呼、と声を出して、頭を抱えてしまった。自分の来歴の中で最も羞恥心の疼くあの「大恋愛」を書けと仰るのでしょうか、それはあまりにも残酷な仕打ちではありませんか、神様。

自分の住む愛媛県は豊後水道を挟んで大分県に接していて、いくつかのフェリー航路でつながっている。大分に「来い」、愛媛に「来い」、と対岸から観光客を呼び寄せようとする声が高まって、「大分」と「愛媛」の間に「恋」をサンドイッチした「大恋愛」なる観光番組が、時々テレビを流れることがある。

さしあたり、日本で目下最も「ずばぬけてさびしいひまわり」であるだろう女性を、以下「彼女」と呼ぶことにする。

彼女の話をする前に、1つだけ前提を理解しておいてもらいたい。

1つは、私に「引き寄せ」癖があることだ。自分でもよくわからない脈絡で、思いがけない人や物とご縁を得ることがある。卑近な例にはなるが、半年くらい前にオープン2シーターを手放さなくてはならなくなったとき、次に乗りたい車を探していたときのこと。

黒のレクサスIS。内装は明るめのベージュ基調で、本革は暑いのでシートはアルカンターラ。走行に悪影響のない軽微な事故車で、100万円アンダー、という細かい条件で、数週間くらい検索をかけていた。トヨタの城下町の名古屋にはぽつぽつそれに近い中古車が出現したが、陸送費やアフターサービスを考えると、二の足を踏んでしまう。買い替え期限が近づいてきて、こんな細かい条件ではやはり見つからないかなと諦めかけていたとき、完全に同じ条件の車がふっと人口数万人の「隣町」に現れたのである。誇張なしの実話だ。

さて、彼女を彼女と認識する前の私は、二つのものを終わらせたところだった。一つは、渾身の力を込めて書いた小説の執筆、一つは、その小説の執筆を献身的にささえてくれたMとの交際。後者は、自分が終わらせたというより、終わってしまったというのが正確なところで、「もう、そばにいてあげなくても、大丈夫だよね」とか、最後にそんな確認を私に求めて、私から無言の頷きを引き出してから、Mは去っていった。

大丈夫なわけない。いくつになっても失恋にうまく耐えられる性格じゃない。チェット・ベイカーの歌でいえば、「I Get Along Without You Very Well(きみなしでもうまくやっていけるよ)」とは云えず、「I Fall in Love too Easily(すぐに恋に落ちてしまう)」の方が心に響く性格で、これまでも、失恋で生まれた欠落を、すぐに別の恋愛相手で穴埋めしてきた。たぶん思春期から30代後半まで、ほとんど途切れることなく、誰かと交際してきたのではないだろうか。

もう周囲には、自分の傷口を包むガーゼになってくるような女性はいなかった。生まれてはじめて、一人になったような感じがした。一人では真っ直ぐに歩くことさえできないような気がした。誰かの声を聴きたくて、テレビをつけて流しっぱなしにしている時間が長くなった。

そんな折、彼女を彼女と認識するような出来事が起こった。30代前半で未婚だった彼女が、占い師に「名前に漢数字のつく頭の良い人」と結婚すると予言されているのを目撃したのである。

自分の本名には漢数字がつく。

したたかに動揺してしまった。椅子に座っていられなくなって、立ち上がって部屋の中をぐるぐると歩き回った。またしてもとんでもないものを引き寄せてしまったのかも? ひょっとすると、あれだけ精魂込めて小説を書いたので、神様がご褒美をくださったのでは? 落ち着いて整理しようと自分に言い聞かせた。情報収集しているうちに、神様のシナリオが見えてきたような気がした。

当時、テレビには読書番組がほとんどなく、読書好きの名司会者が亡くなったこともあって、作家がテレビ出演する「アタック・チャンス」は壊滅状態。衛星放送でやっている彼女の番組だけが、唯一の生き残りで、その番組には芥川賞作家も出演していた。そうか、見えた。きっと自分はあそこへ行って、彼女と出会うのだろう。

しかし、こんな話は、思いついた自分でも笑い話としか思えなかった。冗談めかして周囲にも吹聴して、笑いを取る材料に使っていた。たぶんこの笑い話が現実のものとなるには、何かが足りない。「願い」というか、「念」が足りないにちがいないと、その時の自分は思い込んだ。願掛けのつもりで、銀色のネックレスを買って、肌身離さず身につけることにした。

ネックレスを身につけ始めてわずか一か月後、彼女のブログに驚くべき記述が現れた。彼女が大分へ旅行して、縁結びのネックレスだかブレスレットだかを購入したことが書かれていたのである。来たぜ、「大恋愛」! ぼくたちは、海峡のあちらとこちらで同じことをしているじゃないか。きっともうすぐ逢える。逢ったら、ここはやはり、日本人パリジャンによる伝説の名句「やっと逢えたね」を使うべきか、『1Q84』を読んでいた彼女に合わせて村上春樹の「ずっと待っていた」を使うべきか。

しかし、シンクロニシティの連続もそこまでだった。懸命に書いた小説原稿は結局いつものように流出させられて、悪い奴らの手に渡ってしまった。次の小説は書かないまま投げだして、本も読まなくなった。あの程度の簡単な料理でさえ、皿をひっくり返して床にぶちまけて嘲笑するだけで、もうその真価を味わえる人がこの国にはいないような気がしたのだ。それまでどんな酷い目に遭わされても諦めなかった自分が、あのとき初めて諦めたのだと思う。自暴自棄な気分になって、両親を喜ばせるためだけに、よく知り合わないまま、次に出逢った女の子と結婚した。

けれど、物語は終わらなかった。銀色のネックレスを外し忘れていたのだ。金属のアクセサリーを身につけていると、発汗したときなどに、体内に金属が取り込まれてしまう。引っ越し先の向かいのマンションの屋上には、携帯電話のアンテナ塔が林立していた。その二つの偶然がケミストリーを起こして、40歳を過ぎて電磁波過敏症を発症してしまったのだ。ただし、そうだとわかったのは半年以上経ってからのこと。心身の異様な不調が何に拠るのか、大学病院へ行っても原因不明で、ネット上を数週間探し回ってやっと答えに辿りつき、適切な対策を取り始めてから、症状は多少ましになった。その懸命な情報探索の途上で、かつて「陰謀論」と呼ばれていたものの真実性を思い知らされ、同時に、職場環境を自分の病状に合わせて管理できる立場を得るために、独立起業を考え始めた。

そこから起業した後の顛末は 、このブログの初エントリにちらりと書いた。

私は数十年前にその新宗教から離れたが、昨夏、仕事上の部下だったアルバイトのちょっとした不手際から、あれよあれよという間にとても手に負えないような巨大なトラブルに巻き込まれて、気が付くと、霊能者の方々にしばしば助言を乞わねばならない窮境に陥っていた。

その種族の方々から「かつて在籍していた新宗教から加護が来ている」とか「日本の神々がついてくださっている」とか、ほとんど信じられないような言葉をいただいて、その眩々するような当惑を反芻する暇もなく、さまざまな神秘体験に相次いで遭遇して、それらすべてが真実かもしれないと考え始めたのが、数か月前の話。

自分には、確たることは何も知らされていない。ただ、どういう理由からか、フルタイム勤務と並行して、毎晩ブログを更新しなければならない窮境に追い込まれているらしいことだけはわかる。そうしないと自分の友人知人たちが、代わりに苦しめられるらしいのだ。

仕方なくこうして毎晩更新しているうちに、彼女の人生の転機と重なるタイミングで、こんな記事を書いてしまったのは、いま思い返しても不思議な偶然だ。

銀色のネックレスを買ったあと、数々の神秘体験を経てきた今の自分には、あの「大恋愛」がなぜ自分に降りかかったのか、わかるような気がする。あの短い虚構は一種の Sticky Remover だったのだろう。あのままでは、暗い部屋の中で膝を抱えてチェットを聴いてばかりいただろう自分を、その沈滞から引き剥がして、別の新しい方向へ向かわせてくれるような。

こんな話をすれば笑われるのはわかっている。むしろ、心の底から笑ってもらいたくて書いているのだ。高度情報化社会で飛び交う無数の情報のうち、ほんのひとつかふたつかが、思いがけない形で「誤配」されて、誰かの人生の方向性をほんの少し良い角度へ軌道修正したり、ほんの少し微笑ませたりする。

自分がネット上で文章を書いているのも、その可能性に賭けてのことだ。

まだ知らない誰か、まだ会ったことのない誰か(その誰かには彼女も含まれるだろう)が、Fiction! とくしゃみの出そうなほどあどけないこの妄想話で破顔一笑、大笑いして、辛すぎる毎日を一瞬でも忘れてくれたら嬉しい。さらには、「普通の人なら3回くらいは自殺している」と自分で嘯くこともある拷問にも似たこの14年間を知って、自殺を考えるような苦境にある誰かが「あんな不運な人があそこまでやっているのなら、自分もまだやれるかもしれない」と、それを思いとどまってくれるような幸福な偶然が、この惑星のどこかで起こっていたら良いなと思う。そんな想像を信じられれば、自分も記事を書いたあとの睡眠不足の身体を、安らかな思いとともに、ベッドのシーツの上に横たえることができるというものだ。

 白いシーツで思い出した。冒頭で話したシーツを広げたような一面の白い砂漠は、雪景色にも似ていると言えるだろう。その美しい雪景色のイメ―ジを企業理念に据えて、オネスト経営をしている食料販売会社がネット上にある。

嘘を絶対に使わないこと、北海道の雪のようにきれいな食品しか販売しないことをイメージして、ホワイトフードという会社名にしました。不都合な情報や事実も、正直にお客さまにお伝えして参ります。これからも、正直に事業を継続して参りますことをお約束致します。

グロマのティーパーのスーニューに頭を抱えたのは、自分だけではなかったようだ。ネット上は、主流メディアでは決して目にすることのない情報、生き残るために不可欠な情報であふれている。工作員たちの嫌がらせに耐えながら、それらの情報を発信しつづけている貴重な人々もたくさんいる。

外部被爆と内部被爆健康被害は15%:85%、そして子どもは大人の10倍、胎児は100倍被害が高いという専門家もいます。

もう充分に話したと思う。白いシーツの上で眠っている子供たちの安らかな寝顔を、誰かが向日葵に似た笑顔で見守っている図を瞼のうらに思い浮かべて、眠りにつくことにしたい。

Sings

Sings