新世代たちが転回点を廻れば

ドライブ好きのはしくれとしてどうしても行きたかった角島に、数年前に愛車を走らせて遊びに行った。下道しかないので、柳井からでも数時間はかかった。青い海の上を走りながら焼きつけた絶景も素晴らしかったが、ドローンで撮影したこの動画は、ちょっと美しすぎるのではないだろうか。思わず旅情に誘われてしまった。

しまなみ海道とは異なって、一本の橋でひとつの島だけをつなげる贅沢な橋の使い方は、知る限りでは上の周防大島や、沖縄の古宇利島で見られる。

古宇利島にはまだ、というか、どういうわけか自分はまだ沖縄にすら行ったことがないので、初恋味のサトウキビや紅芋アイスを好きなだけ食べられる極上プランで行ってみたい。よ、気前良すぎの太っ腹!と称賛されるときに備えて、先にダイエットしておこうか。とばかりに、今晩も妄想が止まらない。

車で走ったら、絶対に気持ちの良いこれらの橋の上を、車で走らない若者が増えているという。若者の車離れが深刻なのだ。しかも深刻なのは、車離れだけではなく、新聞離れや恋愛離れやお酒離れも顕著なのだとか。

 いま、若者に何が起きているのかを、今晩は考えてみたい。

 それはどの本屋にも売っていない珍しい雑誌だった。路彦は雑誌を買いにわざわざ品川まで出て、駅周辺をうろついた。正確に言うと、捜したのは雑誌ではない。その販売を請け負っている路上のホームレスの姿を捜したのである。「品川の彼」はすぐに見つかった。 身なりを整えた50代くらいのホームレスが、駅から出てくる群衆の流れに向かって、雑誌を頭上に掲げながら、雑誌名と値段を高唱している。後でわかったことだが、300円の雑誌代のうち半額がそれを販売したホームレスの収入になり、彼らの社会復帰に寄与するのだそうだ。 

上の引用部分は、自作小説からの抜粋だ。ビッグイシューは実在する超有名なソーシャルビジネス事例だ。駅の近くで販売員を見かけたことがある人も多いのではないだろうか。

ソーシャル度が世界で最も高い化粧品メーカーの一つ、「ボディショップ」の店員たちとコラボしている動画を、このブログでも紹介したことがあった。

そのビッグイシューも著者に名を連ねた『ルポ 若者ホームレス』の内容が、かなり衝撃的だ。 

ルポ 若者ホームレス (ちくま新書)

ルポ 若者ホームレス (ちくま新書)

 

 そのようなホームレスの中に、若者が増えているという。ここでいう若者の定義は、15~39歳。ローティーンは入らない。50人の若者ホームレスにアンケートを取った結果、意外にも正社員経験者が8割もいた。ブラック待遇や職場の人間関係や健康問題など、想像がつきやすい理由で路上へ転落する若者も多いが、社会問題として早急に是正すべきなのが、派遣業態の抑制だろう。いわゆる「派遣切り」で路上へ放り出される労働者がかなり多いのだ。

日本の異常な派遣企業優遇については、上の記事でこう書いた。直感的に言って、とんでもなく異様な不幸事が進行しているのは、間違いない。

これらは特定の企業のブラックな文化で済む話ではない。90年代に波及し始めた新自由主義的な「雇用身分社会」の大問題として捉えるべき話だろう。90年代後半から行われてきた段階的な「規制緩和」は、日本を世界一位の非正規労働の国にしてしまった。

(…) 

2位アメリカの5倍というグラフの尖がり具合も衝撃的だが、より正確に人口比で計算すると約12倍。こんなわかりやすいグラフからも、グローバリストたちに絞め殺されようとしているこの国の悲鳴が聞こえるような気がする。  

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(画像引用元:http://lingvistika.blog.jp/archives/1059565517.html

【各派遣会社のピンハネ率】
<調査概要>
・ 調査期間:2015年1月10日~1月25日
・ 調査対象企業: 一般社団法人 日本人材派遣協会(JASSA)の登録企業全部
・ 調査サンプル企業数: 560社
・ リストアップ事業所数: 841拠点
・ 調査方法: インターネットを使い該当情報の有無を各社ホームページ上で確認

<調査結果>
・ マージン率の公開率: 19.1%(公開企業が107社、非公開企業が453社)
・ 全体平均マージン率: 26.8%
・ 位下位10%を除いた中間平均マージン率: 26.6%
・ マージン率最大値: 50.0%(旭化成アミダス株式会社 IT事業グループ)
・ マージン率最低値: 11.6%(株式会社インテリジェンス 九州支社)

ホームレスは自堕落というのは、根拠の薄い「神話」だ。上のルポでは、自衛隊出身ホームレスが5%いたという。「派遣切り」で路上へ放り出された人々の中には、帰る家のないスーツ姿の人もいたという。大晦日のテレビ局は、必ずここに中継をつなぐのを恒例にすべきだろう。

 大晦日の夜、その人はスーツ姿で都内の炊き出しに並んでいた。

 背中には大きなリュック。片手で重そうなトランクを引いている。

 並んでいるのは150人ほど。この日は年越しそばが振る舞われたのだ。

 炊き出しの列に似つかわしくないスーツ姿の男性になんとなく注目していると、彼は年越しそばを受け取った瞬間、よろめいた。一緒に炊き出しを訪れていた山本太郎議員が駆け寄る。リュックが相当重かったようで体勢を崩したようだ。

 とりあえず落ち着いておそばを食べられる場所に山本議員が付き添ったものの、スーツ姿とたくさんの荷物が気になり、炊き出しに来ていたお医者さんに彼の存在を告げると、生活相談・医療相談ができるブースに案内されていった。あとで伝え聞いたところによると、30代の彼はその前日、初めて野宿をしたのだという。

さて「ホームレス」という言葉で表現される問題には、「仕事がないこと」と「家がないこと」の二つが含まれている。

一つ目の「仕事がないこと」については、この新書が良い。 

本書では、誰もが無業になりうる可能性があるにもかかわらず、無業状態から抜け出しにくい社会を「無業社会」と呼んでいる。

(…)

つまり、日本社会では、一度、無業状態になってしまうと、人間関係や社会関係資本、意欲を失ってしまいがちなのである。

無業社会 働くことができない若者たちの未来 (朝日新書)

無業社会 働くことができない若者たちの未来 (朝日新書)

 

 「ニート」という呼称とそれへ向けたバッシング現象については、こちらの新書が詳しい。ちなみに「ニート」の定義では除外されている職業訓練中の人々が、無業者では含まれている。

「ニート」って言うな! (光文社新書)

「ニート」って言うな! (光文社新書)

 

それにしても、これも官僚の悲しき習性というべきか、厚労省は所管内の問題を小さく見せることに腐心している。若年無業者の数を2011年度で約60万人だと報告したところ、OECDにその約8倍の約480万人が定義上該当するのではないかと指摘されてしまっている。480万人! 大阪市と神戸市を足しても、約420万人。それに尼崎市を足せば、だいたい480万人に近くなる。日本中の若年失業者を合わせると、大阪市と神戸市と尼崎市の器からあふれてしまうのだ。
そして、一番恐ろしい数字に『無業社会』の共著者は言及する。若者たちが定年まで働いたとき国に納税するプラス金額と、働かなかったとき生活保護などでもらうマイナス金額とのギャップが、一人あたり1億5千万円だというのだ。したがって、最大値を取ると、480万人×1億5千万円=720兆円の式が成立する。日本の国家予算は100兆円前後だから、若年無業者の問題は、まさしく国難なのだ。 

 面白いデータが引用されている。

 親の家にとどまるしかない若者が増えています。25~34歳の人たちのなかで、親元に住んでいるのは、イギリス、ドイツ、フランスでは一割強、スウェーデンではたったの4%であるのに比べ、日本では四割近くになります。日本では若い人たちが独立し、結婚し、子どもをもつための良好な賃貸住宅が少ない。

平山洋介「住宅のセーフティーネットをどう構築するか」『議会と自治体』第136号)

 北欧では「福祉が住居に始まり住居に終わる」とも言われ、先進国では住宅整備が福祉の基本だという。ところが、日本のワーキングプアの約75%は、低廉な住宅供給がないこともあって、実家に幽閉されたままなのだという。どうして、日本だけここまで後進的なのだろうか?

日本の住宅事情の貧しさ(異様に地価が高い)については、この記事に書いた。

住宅事情の専門家の間では、「空き家バンク」による活用を推奨する論客が多い。しかし、話をそこで終わらせてはいけないというのが自分の考えだ。

海外でランドバンクを成功させた地方自治体は、成功するランドバンクの特性をこのように列挙している。

  1. ランドバンクと税滞納差押過程が結び付けられること
  2. 再生計画や土地利用計画に基づいた事業
  3. 物件の取得、譲渡などの考え方、優先順位などが透明性を有し、市民の信頼を得ていること
  4. コミュニティ諮問委員会の設置、住民団体との協働
  5. コミュニティプログラムとの整合性 

 つまりは、関連する他の制度群との連携性が成功の鍵なのだ。そして、連携すべき他の制度群が、下記のように日本の諸問題と結びついてはじめて、有効な提言となりうるのだろう。

 2015年の野口悠紀雄の近著を読んでいて、やはり処方箋は「それ」しかないだろうと感じた。「それ」とは、リバース・モーゲッジと相続税と介護制度の連携だ。

若者無業者らの福祉は住宅問題をまず最初に考えるべきだ。そう藤田孝典が強調するとき、そこで見落としてはならないのは、各論の最新の意匠を口にするだけでなく、それぞれの社会政策がどのように連携しながら社会を動かしていくかを、多視点から捉えられる思考と動態視力なのだと思う。

普通に考えて、何かがおかしいのは間違いない。

日本の住宅のうち、2013年にすでに1/8の家が空き家になっている。2033年には1/3が空き家になるという。どうして、貧困者が住宅不足に苦しみ、住宅不足が貧困を生み、それらが少子化を加速させている現実を、政府は手をこまねいて見ているのだろう。

実際、NPO法人の方が、はるかに機動的に問題に取り組んでいる。 

若年無業者白書2014-2015-個々の属性と進路決定における多面的分析

若年無業者白書2014-2015-個々の属性と進路決定における多面的分析

 

何と、クラウドファンディングで資金を集めて、政府に代わって「若年無業者白書」を出版したのだ。Ready For を利用したらしい。

自分は、これまで数え切れないほど、NPO系やソーシャルビジネス系のリーダーたちを、ブログ上で採り上げてきた。そして、これらの人々の中から、社会を大きく動かすリーダーが何人も出てくるにちがいないと確信している。ひとことで言うと、社会の改善意欲と問題解決能力が、旧世代より桁違いに素晴らしいのだ。

自分の読書遍歴の中で、その断層がどこにあるかを考えているうちに、それがプラグマティズムとの出会いであることに気付いた。 若者の定義は15歳から39歳とされることが多いらしい。いわば、ローティーンは含まれていないことになるが、若者問題であれ何であれ、ローティの存在をそこで忘れてはならないだろう。 

 自分がローティをとても面白いと感じたのは、上に掲げた屈指のローティ論に負うところが大きい。いま読み返して、実に懐かしく面白く感じた。渡辺幹雄にはロールズの著作もあるので、この二人に詳しいのは当然だとしても、フランス家のフーコーデリダニーチェポパークワインなどにも精通していて、その明晰に整理された博識が、詳細な注の中で炸裂している。一流のアカデミシャンは本当に凄い。

自分が上の記事で言及したバーンスタインにも、邦訳なしの時代に精密な読み込みをした上で、ローティ批判を抜き書きし、最終的にはローティのフーコー理解について「ローティには、この辺のところが理解できていないのである」と断言できてしまう。この本との出会いは、自分の現代思想読書の中で、幸福な思い出になっている。

 文体の活きが良いところも好きだが、今晩は渡辺幹雄の明晰な整理を再体験しておきたい。ローティの「左翼健全化プログラム」をまとめ直そう。

1. 左翼健全化プログラム1:ラディカルを辞めること

渡辺幹雄はローティのこんな言葉を引いている。

公共的に討議可能な妥協は、共通のヴォキャビュラリーによるディスコースを求める。 その手のヴォキャビュラリーは、リベラルな社会がその市民に求める道徳的アイデンティティを 記述するために必要なのだ。

この項目を超訳したい。要するに、デリダドゥルーズのような超難解な哲学の心酔者たちは、ジャーゴンを振り回して格好つけると市民に迷惑がかかるので、熟議空間ではなく仲間内でやってね、ということだ。あと、ハーバーマスはくよくよ深く悩みすぎ、もっと軽く考えないと政治問題は解決しないよ、とも言っている。

2. 左翼健全化プログラム2:「哲学=理論化」思考を止めること

現代の学界内左翼は、抽象のレヴェルが高まれば高まるほど既成の秩序に対して破壊的になる、と考えているようだ。概念的な道具立てが網羅的で珍奇であるほど批判はラディカルになる、と。

 この項目では、渡辺幹雄の軽妙な文体をお楽しみいただきたい。

「文化系左翼は、六〇年代左翼から」「民衆に権力を」(Power to the people)のスローガンを受け継いだ。しかし、権力の移譲をどう行うつもりなのかを、そのメンバーが問うことは稀であった」(…)

 では、学界内左翼はなぜにこの手の問題をスキップできるのか? それは、彼らが「哲学的抽象」のヴォキャビュラリーで語ることに酔いしれているからである。哲学的抽象の幻覚作用は、まさに「魔術化」の作用を持つのだ。「ブルジョワ文化」「システム」「後期資本主義」「他者性」「差異」「権力」等の呪文的な概念は、具体的で詳細にかかわる問題を消してくれる魔法の杖なのだ。

 3. 左翼が直面する本当の問題

 上記の1.2.の健全化計画が完了したなら、渡辺幹雄は、具体的な悪が見えてくると書き進める。具体的な悪とは「貪欲さ」「利己心」「憎しみ」「傲慢」であり、それを克服する力としての「希望」「想像力」「行動力」、さらには「幸運」が見えてくるというのだ。

はっきり言うと、この最もわかりやすい説明こそが、「政治―倫理」的転回そのものだ。左翼のサブ政治に、これ以上哲学的に付け加えるものはないはずだとローティは論じる。それへの反論を私はまだできずにおり、その必要を感じずにいる。

世界はまだら模様であり、それぞれのひとつの模様の中で、ゲームのルールは異なる。まだら模様は水紋のように静かに動いている。現代思想における「政治―倫理」的転回で変化したのは、何より、「個人的なことは政治的なこと」に心を撃ち抜かれた私たちの生き方そのものだったのかもしれない。

さて、記事の帰りは角島大橋が夕焼け模様だ。実は、今晩取り上げた政治哲学の研究者である渡辺幹雄は、角島大橋のある山口県山口大学で永らく教鞭を執っていた。

人文学界に詳しい人なら、すでにピンと来ているはず。実は上記の「バケラッタ・コーチ」シリーズで取り上げた小川仁志山口大学所属。「効果的な利他主義」を掲げるピーター・シンガーの研究室にいる若き日の写真を、著書に貼っている小川仁志は、国内では渡辺幹雄の薫陶を受けた可能性が高いのではないかと予測できる。 

人間関係を始めるとき大事なのは、出逢うこと、そしてその出逢いを生かすことだと思う。

 

 

 

 

 

 (哲学に出会いたい方はぜひ)