無私してこそ見える新生
無。
とうとう何も書くことが無くなってしまった。外は本降りの雨だし、雨の中を濡れて会社へ来て、ぶるっと身震いしたあと、I'm nothing. と呟いた。Reality bites. 現実は厳しい。そんな名前の映画で、イーサン・ホークが歌っていた曲を思い出したのだった。
ギターの演奏と歌唱はあまり褒められたものではないような気がする。実は、自分は物真似が結構得意。ギター弾きの友人に簡単なコードを奏でてもらって、この曲も真似て歌ったことがある。人工的にハスキーボイスを作り出すのに若い頃から凝っていて、一緒に飲んだアメリカ人に Rod Stewart の真似を披露したら、歌声は凄く似ていると喝采を送ってくれた。ただし、彼はもっと英語が上手だと付け加えて。
それはそうだろう。
しかし、問題をあげつらうなら、同じ映画のクライマックスのイーサン・ホークの方が問題が大きそうだ。U2の名曲「All I want is you」を背景にもらっておきながら、2:06から恋している相手に電話をかけて、台詞が nothing なのは酷いんじゃないだろうか。 悪戯電話がすぎるぜ。けれど、この動画の最後の最後で、イーサン・ホークはちゃんと帳尻を合わせてきた。動画が終わったあと、二人は旅立つようだ。
その彼が約20年たって、はるかに音楽性の高い演奏を繰り広げているのが、「Born to be blue」というチェット・ベイカーの伝記映画。
チェットの楽曲の中で一番有名な曲も、トランペットも含めて、完全コピーしている。
オリジナルには及ばないものの、若者トレンディードラマ風の映画でがなり散らしていた頃とは別人のように繊細だ。こんな風に芸術のきめ細やかさを表現できるようになるのなら、年を取るのも悪くないような気がする。
ジャズ好きにチェットが大好きだと話せば、たいてい肩を聳やかすような冷めた反応をとられる。映画の予告編にあるような「女子供相手のチャラチャラしたトランペット吹き」が好きなのかい?と相手が心の中で冷笑しているのが、聞こえるような気がするほどだ。
けれど、実際のチェットは、甘ったるい人間ではないどころか、どうしようもない麻薬中毒者の屑だった。予告編で「音楽ときみだけを愛した」と彼の人生をまとめている一文が、歯の浮くようなお世辞に聞こえる。チェットが愛したのは麻薬だけ。麻薬が何を措いても最優先で、演奏や練習は二の次、ヤク切れで精神状態がおかしくなると、従順な側近のようにそばにいる事実婚の女性を殴りつけた。
歌声の甘さに眩惑されずに、チェット・ベイカーの実像を描き切った伝記の決定版が下記の書物。そのあとがきで、翻訳が進めば進むほどチェットのことが嫌いになった、と訳者は語っている。自分の中では、『終わりなき闇』は「終わりなき病み」でしかなく、麻薬中毒は、本人にとっては二度と這い上がれない蟻地獄のようなもの。周囲の人間にとっては、まさに端的な地獄だ。中毒になる体質であるなら、せめて(非合法ではない)似たような響きの何かの中毒になるべきだろう。
チェットの甘い部分だけを器用にスプーンで掬い上げたような『ブルーに生まれついて』には、自分の生涯ベスト10にもたぶん入っているだろう、強烈に眩しい先行する映画がある。この映画を10回以上見ている自分には、予告編を見ただけで、『ブルーに生まれついて』が影響を受けているのがわかる。海辺の光景… フォードのコンバーチブル… 「問題児」…
莫迦みたいに高価になっているVHSを変換してHD上に持っている人間は、さほど多くないだろうから、好きなシーンだけ、字幕を引用しておきたい。
冒頭に大好きなシーンがある。4:23くらいから。ロード・ムービーめいた車窓の景色、とはいっても車がコンバーチブルなので、寝そべるように座席に座れば、南国サンタモニカのとても高い木々が流れていくのが見える。ギターのリフがカットインする辺りからのセリフはこうだ。
チェットは逸話の王だ
初めて会ったのは遠い昔 NYでのことだ
冬の大雪の日のことだった
僕はティファニーの前の交差点を渡っていた
彼はシボレーのコンバーチブルで
赤信号で止まった
雪が彼に降り積もっていた
髪もびっしょり
ズート・シムズを聴いていて
雪に気づかなかった
それがジャズさ
その直後に続く女性による「He was bad. He was trouble. And he was beautiful.」という台詞を、字幕は「問題児」の一語を含めて訳していた。どちらも背景はシボレーのコンバーチブルから見える夜の樹々だ。
ドキュメンタリー映画のラストシーン。ドラッグを抑制するよう助言する映画監督に対して、チェットはこう答える。(1:52:36から)
ブルース、君は俺の全てが知りたいんだろう?
それなら君はただ痛みを知りさえすればいい
(…)
先々この映画を振り返って いい時代だったと?
ほかに何が?
ほかに何が…
(…)
すばらしかった あれらの全てが
あれこそ夢だ まさに夢だ
あんなことは起こらない
めったには…
そこへ無音で英語字幕が入る。
1988年5月31日の金曜日午前3時
チェットは58歳で死亡
新聞は転落死だと報じた
警察はトランペットを持った
30歳の男の死体を発見したと報告した
その夜パリ中のジャズクラブが喪に服した
上記のインタビューでは、ドラッグ中毒による抑鬱症状に近い状態に陥っている。チェットを崇拝して最後まで寄り添っていた女性が、暴力のせいでチェットから去り、おそらくはドラッグ絡みのトラブルで、チェットはいかがわしい裏通りのモーテルの窓から転落して死んだ。無になった。
ジェームズ・ディーンばりの美貌とともに、甘い歌声と切ないトランペットで瞬く間に登り詰めた夢の絶頂から、チェットは確かに転落した。けれど、その転落は堕天使にしかできない真似だったと書きつけるのを許してほしい。あれらの「過剰な痛み」と天秤で釣り合いをとるために、チェットが人々の心に忘れがたい稀有の名曲を刻みつけなければならなかったという事実は、きっと世界の人々の心に満ちるべき豊かさにとっては、幸運なことだったのだろう。
一方、チェットを頻繁に聴いている時期の自分は、たいてい幸福ではなかった。31歳で真剣に小説を書き始め、次の小説で主人公を有名モデルのブログのゴ-ストライターにするつもりだったので、実験でブログを始めたら、とんでもない悲惨な目に遭って、その後の10年ほどを棒に振ってしまう形となった。 アラフォーになって起業したら、今度も不当な嫌がらせを受けて、これまた信じられないような悲惨な羽目に陥ってしまった。
途轍もなくブルーだった。当時の自分の精神風景には、ボサノバという新ジャンルを生んだチェット独特の切ない歌声が、いつも流れっ放しだったような気がする。
それでも、チェット・ベイカーやブリストルのトリップ・ホップに addict して、ダウナー・トリップに嵌まるのが癖だった自分が、ここ数年すこしは精神衛生の維持のしかたがましになってきたのは、「無心」を覚えたからだと思う。おかげで、少々のことで動じることはなくなったようだ。
「無心」とは「瞑想(マインドフルネス)」によって到達する境地。仏教的な究極の悟りではなく、一日に数分だけ心を空っぽにするだけで、自分の感情の動きが自分で手に取るようにわかるようになる。精神衛生や仕事の能率改善にとても効果的なのだ。今やマインドフルネスはシリコンバレーで大流行していて、逆輸入されて日本人の注目を集めているようだ。ただし、マインドフルネスの起源はもともと仏教にある。そのことはこの記事に書いた。
ジョブズには、自分が共同創業したアップルという会社を、その頑固さと自己中心性ゆえに追い出されてしまった伝説がある。 そして業績不振に陥ったアップルに請われて復職し、斬新な製品を次々に打ち出す革新性と創造性を武器に、アップルを嘘のように蘇らせた辣腕伝説もある。そのような目まぐるしい混乱に満ちた双極に拠れる心を、しかし、ジョブズは上記の林檎のように透明なままに保つことができた。それが仏教への傾倒や瞑想によってだったことは、よく知られている。
ジョブズの仏教への傾倒の源流を辿ると、大学生時代のカウンターカルチャーへの耽溺にぶつかることになる。ボブ・ディラン、ジャニス・ジョップリン、マイルス・デイビスなどの音楽に加え、LSDなどのドラッグを摂取し、大学は半年で辞め、東洋哲学や神秘主義の本を読み耽った。
(…)
今やすっかり「シリコンバレー発」として喧伝されている「瞑想=マインドフルネス」の効用は、実は日本の仏教に由来していたということだ。
「瞑想(マインドフルネス)」に興味のある人は、初心者向けのこの本が良さそうだ。人生でいつも障害が起こってばかり、壁にぶつかってばかりという人は、その原因が周囲や環境にあるのではなく、自分の心の持ち方にあるのかもしれない考え直してみるのも良いかもしれない。仮にそうでなくても、「瞑想(マインドフルネス)」から得られるものは、決して少なくない。
「人生は我執を手放すことを覚えるプロセスでもある」とは、マインドフルネスとは直接関係のない私見だが、マインドフルネスがなかったら、自分はそのような境地へは到達できなかっただろう。
昨晩書ききれなかったせいで、この記事を書いているのは翌日の午前中だ。屋外の通りが選挙の宣伝で騒がしくなってきた。それにつられて、「無」から「無心」へ飛んだ主題を「無私」へつなげておきたい。
あの派手なランボルギーニを街角で見かけるたびに、「アベさんが好きだな」とか、「アベさんにもっと政治をやってほしい」とか、心の中で呟いてしまう。
おっと、いけない。ご本人もあのように「大変迷惑している」とおっしゃっている。誤解を招くようなひとりごとは慎まなければ。ケーキのフォレ・ノワールを生んだアルザス地方近くの森から現れたジャンヌ・ダルクではなく、「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」こと、阿部元県議会議員の話だ。
2011年、震災瓦礫の受け入れ自治体を国が募ったところ、日本一の受け入れ可能量を示して、勇躍元気良く挙手したのが、愛媛県。
それに対して、敢然と立ち向って議会で反対質問ができたのは、この人ひとりだった。
阿部悦子元県議会議員が後継に指名した議員が急死したので、次の日曜日の衆議院議員選挙に併せて、その補欠選挙が行われる。
やはり「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」の後継は、「マッチャマのジャンヌ・ダルク」こと武井たか子元市議会議員しかいないだろう。4期15年の松山市議会議員を経て、現在、県議会議員に立候補中。選挙公報のキャッチフレーズは「戦争にNO! 原発は廃炉! そして 共に生きる社会を」だ。
市議会議員時代に、銀天街の大街道側の入り口に立って演説している彼女をよく見かけた。市内中心部に住んでいて、出歩き好きな自分でさえ、市民に向かって声をかけている市議会議員は彼女しか見たことがない。ずばぬけた情熱、市民に寄り添ってきた経歴、市議会議員時代に得た確かな実績と見識。市民と環境を愛するジャンヌ・ダルクの後継者は、この人しかいないだろう。
そういえば、こんな小説の一節を書いたことがある。
「この犬は動物愛護センターから来た犬ですか?」
教授は否定も肯定もせずに押し黙っている。零細の実験動物業者が、露見すれば出入り差し止めになるだろう不正な実験動物の納入に、やすやすと加担するとは考えにくい。一方、動物実験施設が簡単な書類手続きで、引き取り手のない棄て犬の「最後の飼い主」になるのは、珍しいことではなかった。それは動物を決して愛玩しない飼い主ではあるが、「在庫」動物の多さに悩まされている動物愛護センターにとっては、ガス室送りの殺処分よりも、優先すべき送り先なのである。
現在立候補中の彼女は、動物愛護センターに来た「保護猫」を複数引き取って暮らしているのだという。一般論として、「保護猫」や「保護犬」は人間に虐待された経験などから愛玩に不向きで、問題行動を起こしやすいとされている。それを厭わず生命を尊ぶ「無私」の彼女の姿勢は、ひょっとしたらその政治的主張よりも、彼女の人格の素晴らしさを雄弁に伝えているかもしれニャイ。
個人的な自分史の話に戻せば、アラサーの時の不幸、アラフォーの時の不幸、真剣に何かを始めると、必ず酷い嫌がらせに見舞われるという自分の人生の「宿命」は、ようやくここで神様が帳尻を合わせにきてくれて、あの保護猫のように救い出してもらえそう、そんな局面に今の自分はいるように感じられる。
いや、もしそうだとしたら、全然帳尻が合わないな!
これはどう見たって、幸運の貰いすぎだ。偉人たちには到底及ばないものの、ぜひとも自分もいくらかの「無私」の心をもって、頑張って世界や社会に幸運をお返ししていかニャくては。
(卵の調理法はサニーサイドアップが好き)
Look for the silver lining
Whenever a cloud appears in the blue
Remember somewhere the sun is shining
And so the right thing
To do is make it shine for you
A heart full of joy and gladness
Will always banish sadness and strife
So always look for the silver lining and try to find
The sunny side of life