批評 / 書評

貴重な虚構のためのホッチキス

こういうことを話すと、現代の若者たちは信じられないという顔つきになるのではないだろうか。 自分が大学生の頃には、携帯電話はなかった。 より正確には、とびっきり高価だった当時の携帯電話は少数の青年実業家たちだけの持ち物で、彼らは弁当箱より大き…

批評のリーチはどこへ届いているか

歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。 有名なマルクスの言葉には、続きをつけておく必要がある。「三度目以降は悲喜劇として」。歴史は何度でも反復する。ただし差異を伴って。 しばしば「時を越えて同一物が繰り返し回帰する」と…

屍を越えて旅する覚悟

昨晩「誤配可能性」について触れたこともあって、書き落としていたことがあったのを思い出した。太宰治「女生徒」の原型となった少女を救ってさしあげねば。 この記事で、台湾人の「博士」の助けを借りながら、「女生徒」は、太宰治が川端康成へ、「贈答品+…

「九年前の祈り」を読む

チ、チ、チ。 舌打ちをしているのではない。「九年前の祈り」は三つの異なる色をしたチが、縦糸や横糸になって織りなされている小説なのだと思う。おそらく純文学を読み慣れていない人なら、主人公のシングル・マザーさなえが、どうしてこうまで「血」を通じ…

処女の自慰で川端を刺す

自分ほど明後日の見当違いの批判やら罵倒を浴びせられた人間はそう多くないのでは、という気がしていて、敵であれ味方であれ、そこに巻き込まれた人々の多くが、貴重な労力や時間が空費させられてしまったことを思い出すと、悲しくなってしまう。 「蓮実重彦…

ささやかな文学的自叙伝

昨晩の記事で野坂昭如に言及したせいで、2003年に数か月だけ書いて閉鎖した処女ブログのことを思い出した。当時はサーバを借りてそこに自分でブログツールをインストールしなければならないほどハードルが高かったこともあり、たぶん自分は最初に日本語ブロ…

夜明け前の路上は雨

文章を書くのに「ダンモのズージャの伴奏」が欲しくて、Five Corners Quintetを聴いていた。より正確に云えば、FCQはモダン・ジャスの精髄を随所に生かしたクラブ・ジャズの範疇に入るアーティストだ。 その伴奏を背後に聞きながら書くとしたら、やはり「月…

ラジオから不意にジョン・レノン

昨晩は疲労のあまり0時から2時まで仮眠。2時半くらいに再出社して7時過ぎまで調べたり書いたりして、そこから朝食。8時に就寝して12:30に起床した。(少なくとも怠惰ではないと自分は思うが、そういう感覚は人それぞれなのだろう)。さすがにこういう負荷が…